思いもかけないときに
あなたに 語りかける者が 現れる。
あたかも 天使が あなたに そっと 囁く(ささやく)かのように。
その人は 思考体としての (人間の)他者だ。
その人は 何を 語るのか。
(純粋)思考を 語るのだ。
あなたは そのように 語りかけられるのを ずっと 待っていた。
それは 天使の ささやき/つぶやき。 天使の 愛撫(あいぶ)。
あなたが 子どもだったころ 天使は そのように ささやいていた。
そのささやきを 子どもの あなたは・・・ あなたの 純粋思考は 受けとめた。
それは 霊/精神の 交感/交歓、 本来の対話である。
多くの人は 大人になると そのことを 忘れてしまう。
大人たちには その渇きがある。 そして とても 干からびている。
わたしたちは なにを もとめているのか。
この世から 去るときに わたしたちは 自分が なにを もとめていたのかを 思い出すのだ。
そして その地上生のあいだ ずっと そのまわりを 迂回(うかい)し続けていたことを 知るのである。
”死者にとって大事なのは死の直後の期間です。この期間は何時間も、何日間にもわたります。この状態において、死者の魂の前を、壮大な記憶の光景として、生まれてから死んだ時点までの人生が通り過ぎていきます。死後、誰でも、この人生の記憶像の通過を経験します。・・・死者は絵画を見るように、客観的にこの記憶像に向かいあうのです。・・・驚くのは、眼前に展開するこの映像の中で、人生の中で生起した個々の出来事があまりにも速く流れ去っていくことです。
・・・
アストラル体と結びついたエーテル体が肉体から分離してしばらく時間が経つと、アストラル体は高次の構成要素とともにエーテル体から離れていきます。アストラル体はエーテル体から分離し、記憶像は消えます。けれども、すべてが消え去るわけではありません。たしかに、エーテル実体、生命実体と呼ばれるものは宇宙エーテルの中に分散していきますが、これからの人生の中で決して失うことのない本質はとどまるのです。覚えていることはできなくとも、この映像の抽出物はこれからの輪廻転生を通じて保たれるのです。この記憶からの抽出物から形成されるものは因果(コーザル)体と呼ばれます。それぞれの人生が終わるごとに、人生の書に新しい頁がつけ加えられます。過去の人生が実り豊かなものであったなら、その成果を次の人生でさらに発展させるように因果体は働きます。人生における才能や素質が豊かか乏しいかの原因は、ここにあるのです。”(ルドルフ・シュタイナー『薔薇十字会の神智学』西川隆範訳 平河出版社 p. 48~50)