以下、引き続き、
思考の道をゆく人にとって、またとない導きの書と言える、R・シュタイナーの『神智学』から、抜粋(ばっすい)していきたい。
*使用するテキストは、ルドルフ・シュタイナー『テオゾフィー 神智学』松浦賢訳 柏書房。ちなみに、この書には、「超感覚的な世界認識と人間の使命についての概説」と副題が付けられている。
*各抜粋の冒頭に、本書における該当(がいとう)する部分のページ番号を置く。
〇人間の本質 11~53
14 ・・・人間はその本質において三つの側面を備えている・・・このことを、ここではとりあえず体 Leib・魂 Seele・霊 Geist という三つの言葉でいい表すことにしましょう。ここで何らかの先入観や仮説をこの三つの言葉と結びつけようとする人は、私がこれから説明する事柄をかならず誤解することになります。・・・
*私見・・・そもそも、「体 Leib・魂 Seele・霊 Geist」という言葉を通常の科学者は使わない。通常、「体」は肉体/物質体のことであり、「魂」や「霊」は、科学ではなく、文学や宗教の言葉である。なかでも、「霊」に対する(共通)理解は、現代社会においては無いに等しい。だから、ここでシュタイナーが提示する「体 Leib・魂 Seele・霊 Geist」は、現代社会においては、種々の誤解や拒絶にさらされるはずである。しかし、「体 Leib・魂 Seele・霊 Geist」を前提にして、あなたの純粋思考を展開し、そして読書しなければ、『テオゾフィー 神智学』を理解することはできない。あなたの純粋思考によって、「体 Leib・魂 Seele・霊 Geist」を認識せよ。それが、思考の道をゆくことである。
15,16 ・・・魂的なものは、体をとおして見ることができない領域なのです。・・・そして霊をとおして、外界が高次の方法で人間に明らかにされます。人間の内面において、外界の秘密が姿を現します。人間は霊をとおして自分の外に出て、事物にそれ自身について(すなわちその人間にとってではなく、事物そのものにとって意味をもつ事柄について)語らせるのです。人間が星空を見上げるとします。人間の魂が体験する大きな喜びは、その人間自身のものです。しかし人間が思考のなかで、霊のなかでとらえる星の永遠の法則は、その人間にではなく、星そのものに属しています。
*私見・・・驚くべきことに、すでにこの部分で、シュタイナーは、思考がすでに霊であることを明言しているのである。彼は、「人間が思考のなかで、霊のなかでとらえる星の永遠の法則」と記述して、「思考」と「霊」を同列に扱っているわけである。あなたが純粋思考という思考の道を行けば、やがて遠からず、霊とは思考/思考体であることを直観することになる。この認識こそが、実は、認識の営みのアルファでありオメガなのである。