失敗とは? また、成功とは? ・・・
いずれも、地上の生活にのみ関係する言葉だ。
つまり、失敗も成功も、地上の生に汲々(きゅうきゅう)とする私たちの低次の自我の言葉である。
私たちの高次の自我は、失敗や成功といった、そうした諸々(もろもろ)の向こう側に常に在って、
その顔(かんばせ)に、神々のような微笑み(ほほえみ)を浮かべている。
その地上の失敗や成功、闇雲(やみくも)な果てしもない試みを経て、
繰り返し、経験することによって、
私たちの高次の自我は、成長を遂げることができる。
いずれにしても、この地上においては、とにかく始めなければ、何の意味もないのである。
不可逆の、この鉱物界の時間の流れにおいては、なにごともとにかく始める/始まることで、なにごとかに成り得る。
また、数学の座標軸(ざひょうじく)に端的(たんてき)に示されているように、なにごとか、つまり個物(こぶつ)というものは、常に、どこぞの一点においてしか存在し得ない。
鉱物界の空間の原理である。
つまり、だれかが、それを、始めることになる。
そのだれかは、特定できるだれかであり、個人である。