かれがピアノにむかったとき | 大分アントロポゾフィー研究会

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その人がピアノにむかったとき、そのとき、霊気(れいき)が漂った・・・

 

 

”・・・マルティン・ブーバーは物事の本質はそれがどう見えるかということにあるのではなく、自分がそれをどう考えるかというところにあるのだということを気づかせてくれた。・・・人の不安と苦悩の大部分は思考能力の欠如から生まれるものだが、考えることをいとわず、考える能力を持つ人々でさえ、哲学と哲学的思索を、音楽や政治や歴史にとって非常に有用なものだとはみなしても、日常生活のさまざまな局面においては、そんなものはなくてもやっていけると思っている。・・・”(ダニエル・バレンボイム『ダニエル・バレンボイム自伝 増補改訂版』 蓑田洋子訳 音楽之友社 P.42)