そこは、ハライソ | 大分アントロポゾフィー研究会

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涙というものは、あなたの高次の自我のあらわれだ。

高次の自我が、低次の自我を超え出ようとするとき、人は必ずや涙を流す。

 

 

高次の自我は、人間存在の個別性の結晶。

あなたは、そこにあなた自身の歴史的一回性を見る。

また、あなたが、あなたのそばにいる他の誰かの中に、

そのような一回性/個別性を見い出すとき、

そのかけがえのないものを見い出すとき、

そのとき、あなたは、人類の星の時間の中に生きている。

 

あなたは、そこにキリスト存在の似姿(にすがた)を見るのだ。

あなたの中に、そして、いまあなたのそばにいる、その誰かの中に。

 

あなたは地上に生きながら、すでに地上の世界を超え、霊たちの世界へと歩み入った。

生きながらにして、すでに生と死の際を超え、ハライソに入った。

 

そこにいるのは、ただ、「わたし」と「あなた」のみ。

そこでは、「わたし」は「あなた」で、「あなた」は「わたし」だ。

”あなた”は”わたし”で、”わたし”は”あなた”。

そこははらいそ。わたしはあなた。あなたはわたし。