純粋思考の言葉とキリスト衝動 ~ 旧約と新約 | 大分アントロポゾフィー研究会

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いずれにしても、純粋思考ができなければ、聖書は理解することができないのである。

 

いずれの聖書も、純粋思考の言葉によって語られている。

ただ新約聖書の方には、その純粋思考の言葉の背後に、常にまさにあからさまに、キリスト衝動が働いているのが看取される。

ゴルゴタの秘蹟後に書き記された純粋思考の書物なのだ。

純粋思考の言語だけが、霊的な事柄を記述することができる。なぜならこの言語は無媒介だから。イメージ体/文脈イメージの助けを借りる必要がないからである。イメージ体/文脈イメージは、常に大きな壁となって、純粋思考の前に立ちはだかる。

純粋思考ができない者がこの言語を使うことはできないのと同時に、純粋思考ができない者がこの言語で記された書物を理解することはできない。

 

”・・・イェーナでの自然科学の講演を聞いて二人(ゲーテとシラー)はいっしょに帰途についたが、その道でシラーは講演者が自然をあまりに分析的・分割的に扱う態度に不満を述べた。ゲーテがその(シラーの)言葉に賛成したことから話ははずんだ。やがてゲーテはかねてから彼の胸中にある「象徴的な植物」根源植物のことを鉛筆で簡単に図解しながら説明した。シラーは興味を示してそれを聞いていたが、聴き終ると頭を振って「それは経験ではありません、理念です」と言った。ゲーテはこれまでカント哲学にある程度は触れていたので、シラーの言おうとすることは全く理解できないのではなかった。それにしてもシラーのこの言葉にはショックと不満を感じた。しかしけっきょく自分には世界そのものが啓示されるのであって、経験も理念も同一でありうるのだと考えて、心をしずめた。・・・”(人類の知的遺産45 『ゲーテ』手塚富雄 講談社 p.101,102)

 

ゲーテが純粋思考によって世界をとらえるのに対して、シラーはカント由来のイメージ体/文脈イメージを媒介にして、ゲーテの語ることを理解しようとしていることがよく分かるエピソードである。

 

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”主なる神は、蛇に向かって言われた。

「・・・お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。・・・」

神は女に向かって言われた。

「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め 彼はお前を支配する。」”(創世記 第3章)

 

霊的世界の前に常に壁となって立ちふさがるもの、イメージ体/文脈イメージを人間に与えた蛇/ルシファーは、神によって難しい立場に立たされる。疎外されるのである。

人間は、無媒介に霊的世界とつながる純粋思考を獲得するために、”産み/生みの苦しみ”を経なければならない定めとなった。だがついには、ロゴスが人間を統べることになるのである。「お前(人間)は男/ロゴスを求め、彼(ロゴス)はお前(人間)を支配する」のだ。

恐るべきことに創世記が、現代にもつながる遠い未来の(霊的)出来事について、すでに端的に簡明に”預言”しているというわけである。

 

旧約聖書は、人間の創世から(民族の)試練に満ちた数知れない出来事(歴史)を経て、個的自我の確立にまで至る人類史的成長を跡付けている。

新約聖書は、ゴルゴタの秘蹟から人類の個的自我の中に働きかけるキリスト衝動を記述する。

そして、現代に生きる私たちはまさに、キリストの出来事/歴史のただ中に在って、・・・