例えば、モーツァルトの魂の空間に現れた、例えば交響曲第38番ニ長調『プラハ』は、魂の身振り/態度そのものである。
モーツァルトは自らの魂の内に現れたその交響曲を五線譜に記述する。その譜面は印刷され、どこぞのオーケストラによって演奏される。
誰でもいいが、とりあえず私としておこう。私がその演奏を聴く。共感をもって。
満ち溢れる共感とともにプラハ交響曲を聴く。そして私の魂はこの交響曲の持つ魔術的な力にとらえられる。
そのとき私の魂の空間には、モーツァルトの交響曲第38番という魂の身振り/態度が立ち現れているのである。
ちょうど今、アルフレート・ブレンデルによるピアノマスタークラスをYouTubeで見ていた。
ブレンデルがピアノの生徒に、リストのピアノソナタロ短調を教授しているのだから、演奏はことあるごとに中断され、ブレンデル自身の演奏や心のこもった身振り手振りも交えて、暖かくそして鋭く的確なコメントが差しはさまれ、何度も弾き直される。
不思議なことに、このようなプロセスが展開される中で、コンサートホールでの通常の演奏ではないのにもかかわらず、ロ短調ソナタの本当の姿が立ち現れてくる。そして、その音楽の姿はこのレクチャーを通して、片時も消えてしまうようなことがない。
ブレンデルの魂の空間にリストのソナタが生きており、生徒の魂に内にもこのソナタの本当の姿が立ち現れてくる。私はそれを共感と驚きをもって見守る。そして、そんな私の魂の内にも、リストの見た魂の身振り/態度=音楽が出現する。