2023.8.6 ST 凡人ツァラトゥストラはかく語りき | 大分アントロポゾフィー研究会

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詩と音楽には 最高レベルの直観思考が はたらいている。

 

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トイレで 静止して 目をつぶれば

お前は すでに 凡人ツァラトゥストラだ。

静止せよ 静思せよ 正視せよ そして 精子(せいし  製糸 製紙  …)せよ っんんんっ 正視せよ っむむむっ うっ もはや正視(制止)できまっせんっ・・・

 

批評(クリティーク)というものは(が)

いいと思ったら わるい でもやっぱり いいと思います だがそうは言ってもやはり わるい しかし そんなこと言ったって いいだったかわるいだったか さっぱり・・・やっぱり  つっぱり  ・・・( ゚Д゚)

みたいに いつまでも どこまでも 循環(じゅんかん)せずにいられないのは*注1

低次の自我と高次の自我が 人間の魂において 常に 入れ替わり立ち代わり(いれかわりたちかわり)しているからである。

 霊の  例の(れいの 地域(いなか)の) 清掃工場を 見よ(静止せよ 静思せよ 正視せよ  そして 精子(せいし  製糸 製紙  …)せよ )( ゚Д゚) 

そのリサイクルの循環(じゅんかん)を見よ! 清掃車が  向上心  工場(コージョー)へ吸い込まれていったかと思うと なかでいったい(  せっくす  ) をしているのやらなにやら いつのまにかふたたび出口から出現するという動きを 止め処(とめど)もなく(っんんん 静止(せいし)しない(゜゜) 制止(せいし)できない(゜゜))繰り返しているではないか。清掃工場は そうっ そう (  そう 躁 そう  ) は言っても  決死て  けっして 批評家たちの  吐き捨てる  クリティークしたらしき 思想的言語のごみだめ(オブツソウ 汚物  僧  槽)などでは 決して ないということは あなたやわたしのような  文人  凡人ツァラトゥストラでなくてもだれでも わかっていることだ。

 

いずれにしても

低次の自我は 高次の自我の立ち居振る舞い(たちいふるまい)を 理解できない。

だが 高次の自我の  ホモ  方も(ホ~も)低次の自我の内に潜む善悪のすべてを またその細部を

毎度(まいどーっ)一々(いちいち) お見通し(オミトーシ)というわけではないのである。

といぅっか(言うか)

人間という存在は  門司通り 運命的に 受肉して(おかあさんのおなかから生まれて)この世に(鉱物界)に生きるようになっているわけだ。

超資本主義(お単小茄子)によって浸食され汚染され 極めて楽しい(ごくらくな)場所になってしまった大都会から脱出して山々(やまやま)や海々(うみうみ)へと桃源郷(ユートピア)を求めたナチュラリスト(自然主義者やロマン主義者やエコロジストたち)や空想癖のある5歳児のような大人(大人のような5歳児ではない 赤ちゃんでもない)たちが 脇見(わきみ)しながら(してないかもよ よそ見かもよ)切磋琢磨し合って(キョーソー(競争  強壮  )かよよよよ)いる そこここの 野山(のやま) 山々(やまやま) 海々(うみうみ) 川々(かわがわ) 湖々(  みずうみみずうみ ここ  )などなどにしても

大宇宙の神秘のえもいえぬ輝きに輝きに輝きに満ち満ちたもともと狂暴(凶悪)極まりない大自然界(森羅万象)の上辺(うわべ)なんだなこれが。

だから いくら覚醒した(悟りを開いた)あなたやわたしのような凡人ツァラトゥストラといえども

神秘の大自然(宇宙)に たった一人で 敢然(かんぜん)と対峙(たいじ)することなど

完全(かんぜん)に不可能なのである。それは たった一人で神とけんかするようなものなのである。もちろん 全人類が力を合わせて戦いを挑んだとしても ハハハ ハハハ 歯🦷っハッハーっ もちろん歯も(が)立たないないってなことは あなたやわたしのような凡人ツァラトゥストラでなくても(地域の団地の自治会のおくさんやだんなさんも)とっくのむかしにしっているってわけだ。

あのガンダルフの爺さん(おじいさん)を見れば それはきわめてきわめて明らかだ。 枯れ  かれ(彼)でさえ あのサウロンに太刀打ち(たちうち)できないのだ。まっ[ma(゜o゜) 当然である。

 

自然と  紙  神(宇宙)を前にして全く無力な自分(高次の自我の低次の自我(的な面)つまりあんたやわしごとき(つまり人間存在)の高次の自我ごとき)

そのなんとも申し開き(いいわけ)のしようもない面映ゆさ(おもはゆさ)を 紛らわす(まぎらわす モウドウニカシテよねえ ねえ ねえんっ)ために どうしようどうしようと それからどうしましょうとどちらかというと霊的な(れいてきな)試行錯誤(しこうさくご)に及び ついには(とうとう/行き詰ってしまって)

ユーモア♪というきわめてセンスィティヴな(かわいらしいくらい繊細で健気(けなげ)で素敵な(すてきな))なにかに 行き着くわけなのよ(発見するということよ♪~)。っんんんーん  コレラ  これだっ んっ ( ゚Д゚)♪

でも もし このユーモアというセンシティブななにかを 例えば あなたやわたしのような凡人ツァラトゥストラの相棒(パートナー 妻や夫)が 無視したり軽蔑したりしたら(侮辱はしないでしょう それはDVです)

さて(さて) はてはて はて

あなたなら どうしますか?

さあ(さあ) いっしょに考えてみよう。これってたぶん世界最大の難問だワよ ('ω')

いやっ オレは それが世界最大の難問だとは思わない(思わない理由は言わない(言えない/じつは理由がない などなど))。

いいえ ワタシは これこそ宇宙最大の難問だと思うわ(思う理由は言えないが じつは根拠(-_-)があるような気がしている!かもよ…)。

(うんにゃ あそこのカレは そんなばかなことかんがえてもいやしないよ ソーダソーダ(^^)/)

そんなこと言っちゃダメ(だめ)だ 人間として失格だ。それはね 難問じゃあないんだよ。

なに言ってるの 難問よ。

なにーっ!🔥

あんたこそ なにーっ🔥

・・・( ゚Д゚)

・・・たしかあ ソクラテスわあ クレオパトラといっしょに へびにかまれてしんだよなあ

おまえ なにいってんだよ

おまえこそ なにいってんだよ

なにーっ🔥

おまえこそ なにーっ🔥

 

まあ そんなわけで

さあ …はっきり言って もう疲れたわぁ へ露(ろ)ヘロ~ … さあ よーく考えてみよう。

これこそ まさしく 脱構築 déconstruction(デリダ)だぜ はぜ🐟  はげ 

【結論】 ⇒ なんもなーし(無し)⇒ 虚無(凡人ツァラトゥストラのニヒリズム) ⇒ ねはん(涅槃) 

シュタイナーの輪廻転生とカルマの思想(純粋思考・直観思考だぜ じぇじぇじぇ)によって

この凡人ツァアラァトゥゥゥスートラ (  カーマスートラ  ) のニヒリズム(虚無主義)を乗り越えよう!

つまり みんなの高次の自我は いくつもの地上生を生きることによって 進化するんだよね これが(-_-)(親鸞上人イワク月(付き)((/_;)経屁へ(へへへ)(ある尼(あま)ある尼寺にていわく)

 

あなたやわたしは これまで何度も繰り返しワシ(わたし)が語ったように 凡人ツァラトゥストラであり、

かれ(彼)やかのじょ(彼女)は 超凡人ゾロアスターなのである。

あなたやわたし かれやかのじょは みんな アフラ・マズダーではないのである。 

では 凡人ツァラトゥストラと 超凡人ゾロアスターのちがいは  ないか(無いか)  なにか(何か)どこにあるのか?

ここにある! とだれが明言できるのか?

ほんとうに なにか なにかが がががが あるのか ないのか … きわめて びみょうなせん(  腺  線)だよな

 

・・・ある夏の日の朝早く

凡人ツァラトゥストラ(わたし)が 地域のゴミ拾いに行くと そこには

超凡人ゾロアスターたち(地域の人たち おもに近所のおくさんそしてすこしだけだんなさん)が

それぞれビニール袋片手に すでにやってきており なにやら意味不明(さっぱりわかんね)なことごとを ダベッていた。

まさに(!) 光の大天使ルシファーが光り輝く女子会状態を呈しておったのである(だんなさんたちは その輪に入れず 身を捩って居った(みをよじっておった))。

そしてわたしは その女子会の上っ面の(うわっつらの)光り輝く盛り上がり(もりあがり)の中に (に…2 (分法) 進法) 他者のまなざしを必要以上に激しく(はげしく)恐怖し合う 近所のおくさんたちの魂のなまなましい現実を 霊視(透視)したのじゃ(゜o゜) 日本全国津々浦々の大盛り上がり(おおもりあがり)のすべての女子会とまったく同じ おんなじ(  女地獄  )ように 他者の秘儀の前段階を形成しておったワイ はいっ っんんんっ ホイ(゜o゜)

ワーーーハッハッハー ウォーほっほっほー イーひっひっひーっ っんんんっ

 

 掻く  かく語りき( ゚Д゚)

 

追伸:他者のまなざしを ぜーんぜん恐怖し合わない女子会は しかし もはや なーんのおもしろみもなくなり もはやそれは 死後の世界の女子会とでも呼ぶべきものに なりあがって(なりさがって)しまうよね(゜o゜) きっとね。

 

 喀  かく語りき( ゚Д゚) コホコホコホ コホン <333 666

 

*注1:永劫回帰(えいごうかいき)ニーチェ Friedrich Wilhelm Nietzsche

 

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♪ リヒャルト・シュトラウス Richart Strauss『ツァラトゥストラはこう語った Also sprach Zarathustra』

Berliner Philharmoniker, HERBERT VON KARAJAN