ルシファーとアーリマンという二つの概念を知っていると、自らの魂に潜む悪に対して、少しだけ対処できるようになる。
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公開の場で、他人の悪口を言ってはならない。
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ネットでいじめが始まると、ルシファーとアーリマンはそのにおいを嗅ぎつけて、驚くべき速さでやってくる。ルシファーとアーリマンは霊的存在なので、地上の世界の時間と空間を何ら障害だと感じないのである。
ルシファーとアーリマンが介入してくることにより、その悪意はどんどん増幅され、強烈な力を発揮するようになる。
その悪の姿は、ロード・オブ・ザ・リングのサルマン、いやむしろサウロンのごときものとなる。いじめの標的となってしまった人は、ネットという無防備の”公開性・公共性”にさらされ、世界中が自分を憎み、軽蔑しているように感じるようになる。そして、その悲劇的な観念から片時も抜け出すことができない。自分に対する集団的敵対行為が、ネットの中で実際に進行しているのだから。加害者の生身の姿が見えないことが、不都合な状況をどんどん増幅・悪化させる。面と向かって相手に直接抗議できないからである。被害者の孤立感は一段と深まる。
… ダレモワタシヲタスケテクレナイ …
そのような手も足も出せない無力感の中で、被害者の魂はどんどん追い詰められていく。被害者は自らの命を絶つところまでいってしまう。
人間の低次の自我に端を発し、霊的な存在であるルシファーとアーリマンが介入している”ネットいじめ”のような現象に、私たちはどのように対峙すればいいのだろうか。
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まず、人間の低次の自我において、魂の自己疎外が起こる。
この意識魂の時代においては、誰の魂においても、これが鮮明に生じている。しかしこの状況は低次の自我にとっては大変不都合なので、わたしやあなたはすぐにはこの事実を認めようとはしない。わたしやあなたの魂の中に、死の深淵に対する恐怖の感情が生まれるからだ。
しかも、時代状況的に、ルシファーが大きく介入してきているので、自己顕示欲が個々の魂においてかつてなく高まっている。生活のいろいろな場面で躁状態を呈している人が増え、その躁的エネルギーたるや計り知れないものがある。多くの人が極めてアグレッシブになっている。
そして、みんな、せっかちになっている。ルシファーの影響で、”スピード”に対する依存度が非常に高くなっているのである。我々の誰もが、ほとんど自覚することなく、”スピード”という一見便利に思われるものに強く執着するようになったのだ。
このことに付随して、人々の内なる魂の自己疎外が進行する生活場面が、目まぐるしく入れ替わり、私たちはほとんどそれに対応しきれない状態に追い込まれている。
そこに、アーリマンが介入してくる。
アーリマンは、分析的な知性の権化であり、現代のデジタル技術にその顕著な現れを見ることができる。デジタル技術の特徴は、”二分法”である。この”二分法”は、分析という行為のもともとの原理であり、デジタル技術はそのコンピューター的現れである。この技術によって、われわれはかつて存在しなかったような便利さを獲得すると同時に、これまで経験したことのない不便さを日々目の当たりにすることになっている。この不便さの特徴を、ひとことで言い表すならば、”融通のきかなさ”ということになる。そして、私たちの頭脳自体が、そのような融通のきかない機械のようなものに似てきているという現実がある。
ルシファーが介入して、私たちの魂が鋭く二分(アーリマン的な事態である)されて自己疎外に陥り、他者が敵対的に感じられるようになり、生活のあらゆる場面において対立が生まれた。夫婦はいがみ合い、憎み合った。学校では、いじめが蔓延した。学問の世界では、不毛な競争や対立が激化した。派手派手のアーティフィシャルな巨大スタジアムでくりひろげられるスポーツパーソンたちのキレッキレのプレーのかずかずはどうであろうか。戦争はなぜこうも繰り返し繰り返し起こるのであろうか。
ルシファーの介入に端を発しアーリマンの介入によって事が極限までややこしくなってしまうこのような悲劇的な状況。
インターネットというものが、現代のデジタル技術の発展なしには存在しなかったことを考えれば、ネットいじめというものが、ルシファーとアーリマンの共同によって、この意識魂の時代に、人類の歴史上初めて登場した、恐るべき暴力の一種であることが明らかになる。
ルシファーやアーリマンは、いずれも強大な霊存在であり、人間がひとりで立ち向かうことはできない。
だが、時代状況的に、そして人類の歴史の進展という視点から見たときに、はっきりしていることがあると思う。
それは、現代という時代が、意識魂の時代であり、人類の誰もが、”他者の秘儀”に参入しなけれならない転機の時である、ということだ。
”他者の秘儀”は、”悪の秘儀”とも呼ばれるのである。
われわれのだれもが日々
生命と死の深淵をのぞき込んでいるのである。
そこには地獄が見えている。
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♪ Mahler: Kindertotenlieder / BOSTON SYMPHONIY ORCHESTRA Seiji Ozawa, Jessye Norman