このブログで何回か取り上げた、ネズミの

楽園実験『ユニバース25』。

エサや環境など 何一つ不自由のない場所に

置かれたネズミたちだが、段々と異常行動を

起こし始め、遂には絶滅してしまうという 

驚愕の結果となった実験です。

なぜそうなってしまったのか??

現代社会にも置き換えられそうな この実験を

考える そのヒントとして、

「コントラフリーローディング効果」を揚げ

たいと思います。

 

「コントラフリーローディング効果」

(以下 CFL効果)とは、平たく言うと

動物は 労せずに食べるエサよりも、一仕事

 して食べるエサの方を美味いと感じる。」

という事です。

例えば、レバーを押してエサが出てくる装置と、

何もしなくてもエサがある装置、どちらを選ぶ

かというと、多くの動物は レバーを押してエサ

が出る方を選ぶそうです

まあ自然界では、獲物を獲ったり エサ場を探し

たり確保したり、敵から逃げるといった ”仕事”

が絶え間なく有るのです。

なので、そういう仕事をして食べる事が普通に

なっているからだと言えます。

 

ところが、自然界にあるはずの ”仕事” が無く

なった世界、即ち「ユニバース25」のような

エサも環境も満たされた楽園では どうなってい

くのか?

先ず最初のころは、新しい環境に ”慣れる”のが

仕事となるので 問題なかったのでしょう。

でも、その環境に慣れてしまうとどうなったか? 

エサがあっても、仕事をして食べる方が美味しい

という感覚は有り続けるので、新たな仕事を求め

始めた のだと思います。

では、その新しい仕事とは?

権力闘争、住居争いに始まり、暴力、ストーカー、

異常性行為、子育て放棄、虐待… といった異常

行動が仕事になっていく。

それにも疲れ果てて、引きこもって 食べて寝て、

自分の身づくろいだけが仕事になっていった。

そして子孫が残らずに 滅亡…

つまりは、生き物は エサのみに生きておらず、

仕事とエサとは1セットのもの だと言えないだ

ろうか。

 

さらには、このCFL効果が 現れ難い動物がいる

のです。それが です。

猫は レバーを押したりせず、何もせずにエサが

ある方を選ぶそうです。だから猫は特殊な生き物

であり 怠け者なのか?

否、厳密に言うと、猫はレバーを押すだけなんて

単純な事を 仕事だと思わないのでしょう。

もしも、猫じゃらしに食いついてエサを獲るよう

な、少しは工夫が要る装置だったら 猫はそれを

選ぶだろうと言われます。

つまり、仕事には やり甲斐とか 工夫のし甲斐が

必要だという事です。

 

翻って、人間社会の仕事はどうなっていくのか?

今後 多くの仕事は AIに取って代わられ、人間は

何を仕事とするかが問われてきます。

その一方で、人々には 仮想空間での暮らしが広

がっていくとされます。 AIが描いたバーチャル

世界で人々は思い思いに生きていく…

でも、それで事足りるのだろうか? 

満足が続くのだろうか?

恐らく、バーチャルという ”楽園”では物足りなく

なり、より強い刺激を求めていくのではないか?

仮想空間という ”楽園”では「ユニバース25」の

ような行動の歪が溜っていき、人々はより激しい

刺激を求めて 狂暴化していくのでは!? と心配に

なってきます。

 

「一仕事してこそ ご飯がおいしい」

そんな生き物本来の 原初の社会を選ぶ道も残されて

いるのか? 考えさせられる今日この頃です。

 

虚数という現代科学に無くてはならない

不思議な数ー 自乗してマイナスになる数

とはどういう事なのか?

これについて前記事では、虚数とは

借りていた正方形の土地の一辺」という

説明をしました。

ただ、少し分かり辛いので 別の説明をして

みたいと思います。

 

「1903円の買い物をしたとします。

 この時、お金をどう支払いますか?」

先ず、903円という小銭を探すのは面倒

だし、そんな小銭は無いことが多い。

なので2000円を支払い、お釣りの97円

をもらうと思います。 

ところが、これだと97円という小銭が多く

なり、財布の中がごちゃごちゃになってしま

います。

そこで、2000円に3円足して、

2003円を支払えばどうか?

100円多く支払う事になりますが、後で

100円のお釣りが戻ってきます。

こうしたの方が 財布の中がスッキリするし、

100円玉という分かりやすい硬貨が手に

入ることになるのです

 

今はスマホ決済などが普及し、こんな事を

やる必要がないかもしれません。

でも、現金払いしかない時には、こうやって

お釣りがスッキリする金額を 瞬時に計算して

支払うことが多いと思います。

そこで何が言いたいかといえば、

「一旦100円多く支払い、後で100円

 戻ることで 財布がスッキリする」という

ことです。

これを物理現象に置き換えると、

「物理作用においても、スッキリ安定した

 結果に落ち着こうとする。

 そのために 安定するに必要な力をどこか

 から借りて、安定後にその量を返す。」

この時の ”安定する量を借りる” という事が

”虚数”に現れると思うのです。

 

先程のお釣りの計算のように、ごちゃごちゃ

お釣りが残るよりも 人は財布がスッキリする

方を選ぶ。

物理作用でも、結果がスッキリする量を一旦

借りて その後に返す。

自然界では安定に向かうための ”貸し借り”が

瞬時に行われているのだと思います。

どこかから力を借りて どこかへ返す” その

作用を表すのが ”虚数” ではないかと思うの

です。

実際に、虚数は掛けてマイナスが付くという

借り物の数字です。でも、それを使うことで

計算がスッキリするのです。

 

では「どこから借りるのか?」それが最大の

問題です。

自然界の95%は 未だ知られていない物質や

エネルギーにあふれていると言われます。そう

したダークマターや ダークエネルギーとのやり

取りがあると考えられるでしょう。

あるいは、さらに人智を超えた世界との交換が

あるのかもしれません。

この世は 未知なる人智を超えた世界と繋がって

いて、その世界との やり取りが行われている。

その事を理解するのに、虚数は大きなヒントを

与えてくれるのではないかと思います。

 

(※私は 数学者でも 物理学者でも 宗教家でも

  ありません。

  こういう事に興味がある、一オタクの言

  として読んでもらえればと思います。)

 

「まるでマンガみたいだ!!」という

コメントがあふれた WBC日本チームの

ドラマティックな戦い!

ではそのマンガとは何か? 私は真っ先に

『一球さん』を想い浮かべました。

(週刊少年サンデー 1975~1977年連載)

主人公 真田一球は、純真無垢の自然児で

身体能力が抜群! 風貌も大谷翔平選手に

良く似ています。

だが、それだけではないのです。

そのストーリーが面白いのです。
 

真田一球が入った巨人学園は、名門校なの

だが、全国であと一歩勝ち進めないという

悩みを抱えていました。そこへ真田一球と

いう自然児がやってきて、チームがどう

変わっていくのか? 

そこが面白いのです。
名門校のプライド高い選手たちは、野球の

素人みたいな一球さんと対立し、チームは

バラバラになってしまいます。
それでも一球さんは 弱小になってしまった

チームを鼓舞し、立て直していくのです。

 

 

一球さんには「三球士」と呼ばれる 野球が

上手くクセの強い3人の助っ人がいます。
これがWBC日本チームでメジャーを知る3人

ヌートバー選手、ダルビッシュ選手、吉田

正尚選手に当てはまるみたいです。
また、一球さんと幼馴染で女房役の 九朗さん

がいます。彼は大谷選手にとっての 水原一平

さんともとれます。

彼らと大谷選手が、2大会優勝できずにいた

日本チームに刺激を与えていく

そのストーリーが、まさにWBCの快進撃と

重なる所があると感じるのです。
 

ただし、『一球さん』は WBCのような華々

しい優勝で終わっていません。

弱小チームで頑張ったけれど、最後は強豪校

の前に惜しくも力尽きてしまいます。

けれど、その真摯に戦う姿が、離れていった

選手たちの心を揺さぶるのです。

連載はそこで終わりますが、その後 続編で

ある「大甲子園」で 離れていたメンバーたち

が戻って来ます。

そして「ドカベン」の明訓高校と 熱い戦いを

繰り広げていくのです。

 

『一球さん』は 沢山の元気がもらえる

水島野球マンガの大傑作です!
この機会に注目が集まり 再評価される

ことを願っています。

 

コロナ渦、戦争、物価高騰、異常気象、天変

地異、経済危機、食糧難…

昨今 人々の不安を煽るような事態が尽きず、

これらを題材にした ”陰謀論”が花盛りです。

が、よくよく観ると 言っている事はどれも

異口同音な感じがして 少々飽きがきました。

そんな誰かが陰で世界を操っている? とか

いう物語から離れて、この世界の本質となる

ものの不思議について考えてみたくなってき

ました。

 

その大きな不思議の一つが「虚数」です。

「虚数」とは、同じ数を掛け合わせてマイナス

になる数字です。

掛け合わせてマイナス? 掛け算では、片方の

数がマイナスでない限りこんなことは有り得ず、

こんな数は 現実には無いとされます。

数式で表すと i×i=-1

iを虚数と言います。

ところが、そんな「虚数」が 大宇宙の仕組み

から極微の素粒子の世界まで、我々を取り巻く

物理作用を説明するのに無くてはならないもの

なのです。とりわけ PCやスマホに不可欠な

半導体技術には、虚数理論が非常に上手く適合

しているのです。

現実には有り得ないのに、現実と上手くマッチ

している。これは一体どういう事なのだろうか?

 

そもそも 虚数は本当に「有り得ない数」なの

だろうか? そこで虚数を別の言い方で表して

みます。

虚数とは「借りていた正方形の土地の一辺」

言えます。

例えば、4平方メートルの土地を借りたとします。

これを一辺で表すと、2メートル×2メートルを

借りていることになります。

4平方メートルは 返さなければならないので、

実質マイナス4平方メートルです。

そして返す面積の一辺である2メートル、これが

虚数に当たるのです。つまり、

借りている2m × 借りている2m =-4平方m

数式で表すと 2i×2i=-4

よって 虚数の2iとは、一辺2メートルの土地を

借りているという事になるのです。

 

ここまでは あくまで数字の表記の仕方で、虚数

を使えば計算が楽になる、便利になるということ

です。

ところが、現実に起きている物理現象、特に電子

の動きや素粒子の世界が 虚数を使うことで非常に

上手く説明出来るようになるのです。

例えば、電子は波であり 粒でもあるという二面性

を持つとされます。波か粒か?その状態は確率で

示され そこに虚数が作用するのです。

 

これがどういう事かと言えばー 

我々を取り巻く物理作用は「未知のどこかから

エネルギーを借りている」という事ではないか?

未知のどこかから借りたエネルギーなので その

マイナス分が虚数として現れる。 

これは先程の 借りた土地の面積と同じ理屈だと

思います。

 

では「未知のどこか」とは何か? 

最大の謎に突き当たります。

第一候補としては「ダークエネルギー」でしょう。

この宇宙で認知されている物質やエネルギーの

総和は、全体のわずか5%程度だといわれます。

残りの90%以上の 知られていないエネルギーが

この宇宙には満ちていて「ダークエネルギー」と

呼ばれています。

物理作用にはダークエネルギーが関わっていて、

ダークエネルギーを ”借りている”という事を

虚数が言い表しているのではと想像されます。

 

とは言え、ダークエネルギーの正体は未だ分かっ

ておらず、全てをここに求めるのは 余りに安直

です。虚数の不思議さの原因は 他にもあるはず

です。

実は、虚数をベクトル(方向と大きさを持つ量)

で平面上に現した場合、もっと不思議な性質が

出てくるのです。それを複素平面といい、電気

理論や 科学技術の広範囲に応用されています。

虚数を 平面という2次元に 次元拡張することで、

次元の持つ隠れた性質が 虚数に現れて来るのでは

ないかと想像しています。

この事を解明するために、ベクトルの不思議さや

ピタゴラスの定理の深いところを探求中です。

 

ともかく、虚数を「実在しない数」とか、

「想像上の数」というのは正しくないの

ではと思います。

この世界は 見えない世界からエネルギーを

『借りる』という不思議な運動をしており、

虚数はそれを現すのに適した数である。

言い換えると 虚数が不思議なのではなく、

この世界の不思議を 虚数が現している。

そう 私は考えています。

 

「五箇山民謡の恩人」と称される お小夜。

しかし、その半生は薄幸なものでした。

お小夜は 若くして遊女に売られ、罪人の咎を受け、辺境の

五箇山へと流され…

けれど、そんな中からでも 村民たちに 歌や踊り、三味線、

太鼓などの伎芸を教えてきました。

一体何がそうさせたのでしょう?

 

 

私は「コキリコ節」などの古の郷愁深い音色が、お小夜を

変えたのではないかと想像します。

恐らくお小夜は 村の祭事などに行き、コキリコ節や古く

からこの地に伝わる民謡に触れたと思います。

そこから 大いに感じ入る処があったのではないか。

この優れた踊りと 美しい音色が残る五箇山、この地

だったら 自分が習得してきた伎芸が役に立てるのでは

ないか?

お小夜は そこに運命的なものを感じ、前向きに考えられ

るようになって行ったと思うのです。

「お小夜節」の囃し言葉 ♪ヨイトコショ~ とは、

「良い所にしよう」という意味ではないだろうか。

山深く 雪深く 生活が楽ではない五箇山だが、歌や踊りで

元気にしよう。そうして五箇山を良い所にしていきたい。

生前のお小夜はそう願うようになり、その心が「お小夜節」

に謳われていると思います。

 

江戸後期の古文献「越の下草」や「奇談北国巡杖記」に

コキリコ節が記されおり、五箇山の地で民謡が盛んだった

ことを思わせます。ここに お小夜の残した功績が伺える

のではないだろうか。

その後の昭和初期、作詞家の西條八十が 古文献にあった

コキリコ節を尋ねて五箇山を訪れます。それ以降、一時

廃れかかっていた五箇山民謡が広く知られ始め 復興へと

向かっていくのです。

こう見ていくと、お小夜は「五箇山民謡継承の恩人」

言っても過言ではないと思います。

 

「お小夜節」は「コキリコ節」や「麦屋節」に比べると

知名度は低いかもしれません。

けれど、お小夜の生涯を知ってその歌を聴くと、目頭が

熱くなってきます。また、その踊りも可愛らしく 非常に

優雅で美しいものです。

この美しい「お小夜節」と お小夜の物語を、舞台化や

映像化などが実現して 大勢の人に知ってもらいたいと

願うばかりです。

 

 ★南砺平高校 郷土芸能部による「越中五箇山民謡」

 「コキリコ節」「早麦屋節」「お小夜節」「麦屋節」

    

「お小夜節」では 4番の歌詞

 ♪庄の流れに 月夜の河鹿 二人逢う瀬の 女郎が池~

それがイントロに聴こえてくる、麗しいアレンジになっ

ています。

郷土芸能部の演目の一つに入れられ、お小夜への敬意が

込められていると感じます。

お小夜が育んできた「越中五箇山民謡」は、こうして

脈々と受け継がれているのです。