奈良市中心部にある、春日よつば保育園。

(現在新園舎建築中。間もなく完成・旧園舎より移転)

 

園庭で使うテーブルや水筒を置く棚などを制作しました。

平日ですので、園庭ではいつものように子どもたちが遊んでいます。

その中での作業です。

 

安全距離を自身で確保している子どもたち

木材を使うので、スライド丸のこなどの電動工具を使っています。

不用意に子どもが近づいてきたら、作業をしているおとながドキッとしてしまいます。

事前に注意するよう伝えたり、場合によっては作業スペースを区切って入らないようにしたりする場合もあるかと思います。今回、この園では、特に場を区切ることをせず、子どもたちが自分たちで距離感を保ちながら様子を観ていることから、気を遣いながらもそのまま作業をしました。

 

怖い音がしたり、おとなが注意深く真剣に作業したりしていることもあってなのか、子どもたちは決して近づきませんでした。もちろん、おとなは万が一のことを想定していますが、子どもたちは、おとなが怖さを感じる距離圏内には入ってきませんでした。きっと場の雰囲気を理解しているんだろうなぁ。

 

もしかしたら突発的に近寄ってきてしまう子もいるかもしれませんが、そのような場合には個別に対応するのだと思います(今回はなし)。全体を集めて約束事などを伝える場面はありませんでした。信頼関係ができているなぁと思いました。

 

【安全距離を自ら確保して「見守る」子どもたち】

 

さて、水筒を入れる棚をつくっていたところでは、子どもが電動工具を持って、ビスを打ち込んでいました。

うれしさを感じつつも、やはり怖さを感じているのか、慎重に工具を持っていました。

工具に触れたことも、おとなと一緒にやれたことも、彼にとってうれしかったかもしれません。

 

【落ち着いた空気感が、「やってみる?」となる】

 

興味・関心をいだきつつも、危険を管理することは忘れない子どもたちでした。

おとなに油断はあってはならないのですが(放任、ですね)、子どもの危険管理能力の存在を意識しておき、それを尊重する姿勢はとても大事なことだとこの場でも改めて強く感じました。

 

 

暮らしの場を整えることを、子どももおとなも同等に自らおこなう

今回、水筒置き場(棚)をつくるという目標がありました。

西田地方保育園(富山市)でCADを使っての図面制作の極意を“伝授”された職員が、

事前にこの棚の設計図を描いていました。これに基づいて、制作を進めました。

 

ところで、工具の使い方に慣れていないときは、今回のように棚や机などをつくりながら、寸法の測り方や切り方のコツ、電動工具の使い方を理解するなど、基本的なことを肌で感じつつ成果を喜ぶ、というような内容がおススメです。乗るようなステージなどは、ある程度の経験を積んでからの方が無難かもしれません。木材と木材の接合具合が甘いとビスに負担がかかり折れやすくなりますし、寸法の微妙な違いは、制作物のゆがみを生みます。専門家などのチェックを受けつつ進めていくことがやはり大事でしょう。保護者・職員の知り合いなどに専門家がいる場合が多いので、ためらわずに力を借りるとよいでしょう。

 

【before 枕木の上に載せられた水筒のかご】

 

さて、1時間余りで第1号が完成し、定位置となる場所に運び置きました。

 

置いてみたところ、地面がデコボコで不安定な感じでした。

そこに年長の女の子がやってきて、「これでは倒れるから危険だ」と指摘します。

この子とわたしや職員も一緒になって、地面を掘って平らにし、

ぐらつきを抑えるために土を入れ始めました。

 

すると、様子を観て、何人かの子がスコップをもって参加。

 

【奥まで足を入れて固める。妥協はない】

 

棚を揺すって確かめます。まだだと思えば土を入れて踏み固めます。

おとなの方が、「これでどうですか?」と聞いてくるケースが多いと感じます(この園ではありません・そして聞いてくる段階ではおよそ不完全な場合がままあります💦)。

子どもたちがわたしに聞いてきたのは、本当に最後の段階、自分たちでは「これでいいだろう」と判断したときです。子どもたちの判断は、だいたいいい感じで、ほぼほぼオッケーなケースが多いですね。

子どもたちの作業の見届けは大事で、ていねいに子どもたちにわたしの判断結果を伝えます。このやりとりは必要不可欠ものものです。オッケーだとうれしいものです。

 

【納得がいくまで地面を固めていた】


子どもたちの様子は、「おとなの手伝いをしている」「補完的役割を果たそうとしている」という感じではなく、明らかに、自分たちが使う場所は自分たちが作業して当然、という感じのふるまい方で、おとなの指示に従って動く、というものではありませんでした。自分たちで思考し、棚のぐらつきをどうしたら抑えられるか、まさに思考・試行錯誤していました。

 

そういえば、宮崎県の乙房こども園でも同じような姿に出会っていました。

その時のことを書いたブログです。

 

ロジャー・ハートの「参画のはしご」というものがあります。

今回の様子、非参画・参画しているっぽいけど違う、というものではなく、明らかに参画・明らかに思考して自ら納得がいくまでミッション完遂を目指していた、というものでした。

 

 

暮らしの場を整えるのに、子どももおとなもない?

子どもの意識としては、おとなと同等、のようです。

しかし、子どもを「お客さん」にし続けると、「同等意識」がしぼんでいってしまうのかもしれません。

経験の差、重たいものをどれだけ持てるか、など、長く生きている、からだの大きさもあるおとなの方が優位なものはありますが、意識は対等。大事なのはここかな、と思います。

 

自分ごととして、自らが過ごす空間を整える。

この感覚をもっている子は、きっと今後も自分事としてアップデートする気持ちを持ち続けるでしょう。

例えば、台風などでこの棚が倒れたら、次はどうしたら倒れないようになるか、知恵を絞るだろうと思います。

このようなことも積み重ねが、自分の人生をより豊かにしていくための目に見える・見えないスキルの獲得につながっていくのでしょう。この際、おとなの無神経な言葉で、子どもの気持ちを傷つけないように、最大限の配慮を怠らないようにしないとなりません。

 

【棚が完成すると早速入れはじめます。期待感の現れ】

 

わたしにとって、とっても学びのある一日となりました。

どうもありがとうございました。

 

 

おわり。