日本は元号だ!

 

 先日NHKのある番組で、「太平洋戦争(本当は日本人にとっては「大東亜戦争」であるのだが)開戦の1941年」と解説していた。私たち日本人にとって歴史的にも伝統からから見ても最大の事件であり、物語であるべくこの戦争は昭和16年開戦と元号を持ち得るべきではないか。ことあるごとにロシア・中国・韓国・北朝鮮など反日国に好意的なマスコミや政治家たちはどこまでも西暦使用だ。いやもはや日本人大半は西暦使用である。

 若い人に限るまい。大人や高齢者もマスコミや我が国の言論を主導している知識人などの影響もあってか西暦使用である。全国紙では産経新聞のみが、“令和5年(2023年)”表記である。讀賣も朝日新聞、全国の地方紙まで(私の推測であり邪推(?)でもあるが・・・)西暦使用である。だが我ら日本は元首天皇を戴く天皇制の国であり、元号使用、元号優先の国ではないのか。辛うじて公の文書は、政府・自治体のそれは元号もしくは元号・西暦も順になっているようだ。一方国民は私生活ではほとんど何の後ろめたさもなく西暦だ。だが西暦とはキリスト教の年号だ。我が国は宗教・思想は個人の自由だ。しかし歴史伝統と国柄の根本は天皇制にある。天皇制とは元号表示が当たり前ではないか。ここにも戦後の欧米化、とくにアメリカ文化の影響があるのだろう。しかし我ら日本人のギリギリの生活態度、それは公私ともに元号使用、少なくとも元号優先・並列が常識となるのが“ほんとう”の日本人ではないか。

(令和5年11月12日)

拉致被害者を救え!

 

北朝鮮に500名(未確認含む)内外の同胞が拉致されてすでに40,50年になろうとしている。国民もそれなりに関心を持っていようだが、強い抗議が出ない。政府や政治家は「断乎として取り戻す!」と口では言っている。しかし当の北朝鮮は核を持ち、ミサイルを我が国領海近くに打ち放題である。近海の我ら同胞の住民はそのたびに右往左往させられている。この状況に被害者家族はもう自国の政治家を本音ではあてにしていないようだ。アメリカ大統領に取り戻してくれと懇願している。

 

 このようなかの国のわが日本をバカにしているなかに小泉首相は、わざわざ自ら北朝鮮に行き数名を依願して、そのお礼に、米や経済物資などの援助をしている。まさに身代金を払っているかのごとくである。マスコミも国民もこの政府・政治家たちの姿勢を支持しているのである・・・

 

 我が国は、そして国民ももっと強硬な、有効ある対策・手段を取らなければならないのではないか。現在のような国としての安全保障を同盟国アメリカに依存していたのでは北朝鮮も、その同盟国中国・ロシアなどもビクともしないだろう。平和憲法を改定、もしくは破棄して確固とした武力を示すことであろう。何よりももっとうるさく騒ぐことだ。北朝鮮が目を覚ますような行動をすることである。できるか日本!?やる気があるのか!?・・・ 

(令和5年10月31日)

 

 8月も下旬になり、少し朝晩が過ごしやすくなってきた。今年は夏のお祭りが全国でほとんどマスクなしで再開されたようだ。よかった!神様たちに寂しい思いをさせてしまったこの3~4年年間を私たちは心からのお詫びをしよう。ご先祖様の霊にも安心してお休みしていただけるよう祈りたい。それにしてもこれまでコロナ過を煽ったマスコミ、医療関係者、政治家や知識人たちが、その“罪”を全くなかったことにして済まそうとしているのは許してはならない。そのためマスクをしている人々もいる・・・

 (令和5年8月29日)

食料自給率アップに週休3日制活用を!

 

 我が国の食料自給率が30%を下回るとか。さらにウクライナ戦争の影響もあって我が国の物価高はとどまるところを知らない。ここにきてこれまで外国からの輸入に依存してきたノー天気な政治家や官僚たちもいわゆる食糧安全保障に目覚めるようになったようだ。目につく放擲農地の活用策など議論している。だが我が国は高齢化で働き手の減少が顕著である。そこで識者や政治家たちに検討してほしいのが週休3日制の活用である。AIなど技術革新で労働事情も休日が週3日に向かうことは確実だ。これで“暇になる”大企業勤務者や公務員などを有給で農業・漁業など労働力不足応援隊にするのはどうか。もっと働きたい人々がいっぱいいると思う。今日でも各地方自治体、役場などの若年(に限らないようだが)者を農業など実家の働き手減少の応援に駆り出されているだろう。経財界や官僚政治家などでは労働力不足を外国人に頼ることばかりを考えているようだが、これは移民増加、社会不安をもたらすばかりだ、そんなことより農業漁業など第一次産業とサラリーマンとの合流体は日本の労働力不足解消に週休3日を一役立てることを考えてみてはいかがだろうか。                     

 

(令和5年8月12日)

小鳥とセミたちの早朝の合唱

 

8月、猛暑である。朝4時ころ、あるいはもっと早くからセミと小鳥たちが一斉に鳴き始める。しかとはわからないがどうもいっせいらしい。というのは気がついたときはもう鳴いているのだ。私は眠りはグッスリ型だからかなりの音でないと目が覚めない。そして間もなくまた眠ってしまう。だがはっとまた目が覚める。その時はあの壮大な合唱はやんでいる。どうも誰かが「ストップ」をかけているらしい・・・親分肌の鳥かセミが号令をかけているのか。そのシーンとした静けさの音(?)に目が覚めるのだ。これは毎日ではない。なにか鳥たちとサセミなどは打ち合わせをしてやっているようだ・・・

 

私は寝ぼけているのか、いやボケているのか・・・しかしこの気持ちはは悪くはない・・・

 

                          (令和5年8月8日)

人生2度なし―戦争の時代を生きた人々

 

子供ころ、多分小学低学年のころまでは、あまりに当たり前のことだが、「人は死ねば2度と生き返らない」と思い込み怖かった。それが私たち人間、いやこの地球上の生命を持つものにどんな意味があるのかということまで深くは考えなかった。そのためか隣近所のおじいちゃん、おばあちゃんなどが高齢で亡くなってもそれほど悲しくはならなかった。だがやがて自分が小学高学年、中学生になるにつれて、身内の家族や親戚の叔父さん叔母さんなどが死んでいくにつれて少しずつ人生とは、人の世とは、人間の死とはついて考えるようになった。

 

40代の頃であったと思う。国民教育の父と言われた森信三の「人生2度なし」の言葉に遭遇した。恥ずかしいがこの世のあまりの究極の真実に愕然とした。知ってはいた。誰でも知っているだろう。だが驚いた!そんな時に人々からあまり語られることにない「大東亜戦争」のわが日本の正統性を学ぶにつれ、私自身の「人生宿命論」に辿り着いた。人はこの世に生まれるとき、その時(時代)、場所(国・郷土など)や両親兄弟など家族、同窓(幼馴染み)など全て自分自身では選べないことに“気がついた”。そのことが私たちの人生に、自分の生まれながらの時代環境や能力・性格などと相まって自分の運命に決定的な影響を及ぼしていることに思い至ったのである。

 

私たち人間にとって日々平穏に暮らせることは何よりの幸せである。夢を持ち、自分のやりたいことを追求し、家族兄弟姉妹たちと仲良く過ごせることが何よりだ。しかし現実にはこの地上に60億から70億の人間の中には必ずしもそのような日々をもつこともその生を終えるまで平穏に生きることができない人々もいる。地震、火事や自然災害、交通事故、思わぬ病気から戦争に巻き込まることは現実の人間社にある。私と同じ世代に生まれ戦後日本の「平和」な時代に生きているものとってもその運命は様々だ。宇宙とは言わないでも、この地球でさえ46億年の「時」をもっている。我らの50年、100年は人生もそれはまさに一瞬に過ぎまい。思えば昭和、特に前半に生まれ合わせた私たちの先人たちに故国最大の興亡の時であった「大東亜戦争」前後の時代に生きていたのだ。同じ世代に、ドイツにはヒットラー、ロシア(のちのソ連)にレーニン・スターリンが国民を支配した。いや賛同した国民もいたであろう。欧州を中心に何千万の人々が殺されている。否戦闘ばかりでなく、ユダヤ人虐殺、共産党内紛の総括などで一億を超す人間が抹殺されているのである。それでもかの国民にはヒットラーやスターリンの強圧を拒否する運命の選択肢はなかったのである。この時代昭和16(1944)年に生きた我らの先人・父祖たちにも時代の宿命、また運命も厳しかった。英米が、ソ連・中国など世界が我が日本を理不尽に攻めてきたのだ。祖国の存亡の危機に私たちの時代を超えた同胞たちは、ただ一度きりの人生を祖国のため、郷土、家族のために捧げたのである。蒋介石、毛沢東、ルーズベルト、チャーチルなどが我らの先人たちと、いや日本と日本人とこの世に共存することを拒んできたのだ。追い詰められた我が国は戦った。多くの戦場に敗れても降伏を拒否し、玉砕、自決などを敢行し闘い切った。その果てに多くの若い命を特攻で敵国戦艦へ突撃していったのである。特攻隊員だけではない。あの時代に生きた、日本に生まれ合わせた先人たちは後世に生きる子孫へ祖国を遺すことを最大の宿命運命として自らの命を超えた道義に生き抜かれたのである。そこには現代の私たちの想像を超えた愛国心・祖国愛が、伝統と歴史を守る気概が燃えていたのであろう。あるいは、いやむしろ“喜んで”その一度きりの人生を祖国に捧げたといえようか・・・

 

いつの世にも思い通りにはいかないものがある。その自分に課された人生の宿命をどのように捉え、最大限に活かし切るかはその人の置かれた条件や自らの能力性格などが大きく左右していくものであろう。生きがいも、また“死にがい”もさまざまである・・・

 

                                          (令和4年12月8日)

国を守る意気がない現代日本人

 

多くの日本人は、おそらくは50%以上の国民は、あの大東亜戦争を、「我が国が侵略した、アジアの人々を傷つけた戦争だ」と認識しているようだ。英米や他の連合国(ソ連・シナ(中国)含む)に我が国が仕掛けた戦争だと思い込んでいる。いわばその歴史観・常識で日常生活を送っている・・・ほとんどの新聞・TVや政治家・知識人歴史学者まで言っている。近年の8月15日、多くの靖国神社参拝者でさえ、「平和が大事だ」、「戦争を2度としないことを誓います」と祈る・・・戦争に斃れた方々、銃後に懸命に生き抜いた方々の労苦に”感謝”している国民がどれだけいるだろうか?いや今日の”平和”の礎となった先人感謝はしている(首相・衆参両議院議長の令和4年全国戦没者追悼式式辞)。しかしそれを一歩超えた英霊たちへの強い賛辞はなかったようだ。戦後80年、アメリカ占領政策による東京裁判史観、ソ連共産思想、シナへの言われなき贖罪意識などが国民に染み付いたものであろうか。

 

最近の産経新聞によれば、我が国が戦争となってもどうするかわからない、もしくは戦わないという立場の人々が5割を超えるという。自ら闘う、国を守るという人々は僅か15%にも満たないという。今年3年目を迎えてなおコロナがコワイ、あるいは新聞・TVにあおられ、外では、公の場で、いまだマスクをし、スーパーなどはみんなコロナ対策をしている・・・大勢の国民が大東亜戦争を侵略戦争だとの「常識」して、アメリカの“太平洋戦争”を呼称している今日このころである・・・何か共通点があるようにも思えるが・・・こんな時代に私はあえて「大東亜戦争聖戦論」を打ち上げた。自論として持っていたが公式に世間に打ち出した(令和4年5月自費出版)。やや大げさに言えば、いつの日か、未来の私たち子孫後裔たち、50年先、100年先か、いや500年、1000年未来か、日本人が大東亜戦争の正当性に目覚めることを祈って!

 

(令和4年11月22日)

 

 下記「大東亜戦争聖戦論」を今年5月に出版しました。その直後に個人的事情で転居することになりほとんど普及活動をすることができませんでした。遅くなりましたが再スタートします。そこで今回は7月に掲載させた文を少し訂正して再掲載いたします。

 

 

私の「大東亜戦争聖戦論」とは?

 

 多くの言論人、歴史学者たちが我らの大東亜戦争肯定論を論じている。日本最大の戦争であった大東亜戦争は、日本が白人列強やソ連に追い詰められ、シナの内乱泥沼に巻き込まれた自存自衛、祖国防衛の戦いであったことを述べている。いわゆる肯定論である。それに対して私は50代初頭に大東亜戦争の多くの真実を知るに至り、おそらくそれから数年を経ずしてほぼ本能的にこの戦争は世界戦史、いや世界歴史の最大の“聖戦”であろうと認識した。

 

 世界の三大聖戦と呼ばれるものがある。聖戦とは公(国のため一命を捧げる)ことである。ギリシア・スパルタカスのテルモビー、イスラエル・マサダ、アメリカ・テキサスのアラモ砦の戦いである。これらの国で今日なお人々は彼ら先人たちを心から顕彰している。では我が日本ではどうであろうか。我が国の最も大事な8月15日には、多くは、“戦争で亡くなった方々、犠牲者を悼む、可哀そうだ」と戦没者慰霊祭を行っている。そして靖國神社神前で”二度と戦争はしません“、何としても平和を守ります”、「敵が攻めてくるまで戦いません(専守防衛)などと、国家の英霊に誓っている!?自分たちのために、後世の子孫のために一度きりの人生を捧げた先人たちを、国民、マスコミ、政治家、知識人たちは讃えることはない・・・

 

 硫黄島、サイパン、沖縄、フイリピンなど260万の先人・父祖たちが、特攻、切り込み、玉砕。自決など死ぬることを覚悟しながら国家・民族の永遠を祈り大空に舞っていたことを忘れてはなるまい、忘れてはならないのだ。文字通り世界を相手に自国の存続を祈り、アジア同胞の列強植民地からの解放の闘いに挑んだ先人たちの闘いは世界三大最聖戦をはるかに超えた世界戦史上最大の聖戦であろう。世界の歴史を大転換させたのだ。あれからまだ80年しかたっていない。私たちはこの戦争をみんなで語り合おうではないか。外国人とも話し合っていこうではないか。未来の日本人に、われらの子孫に語り継いでいくことこそ我ら現代人の使命であろう。

 

 私はこの想いを込めてこの本を書いた・・・

 

(令和4年7月21日)

自存自衛の国たれ!

 

 現代日本人に、自らの国を自分たちの手で守ろうとする気概がひとかけらでもあるのだろうか。そんな思いが時折自分の胸をかすめる・・・「何よりも日本が好きだ!」と人々は言う。それは愛国心につながっているのだろうか。愛国心という言葉さえあまり好かれていなさそううだが・・・大東亜戦争終焉からもうまもなく80年になる。さすがに今日では、多くの国民、政治家、知識人たちもアメリカ押し付け憲法を改正し、自前の憲法を創ろうという。しかし具体的な一歩が進まない。先日の参院選挙で、自民党を中心とした改憲勢力は国民投票の足を踏み出したはずである。だが動くのは口だけだ。議論ばかりである。我らの周辺にはロシア・中国・北朝鮮がいる。昔とその危険性は変わらない。いや中国が台湾進攻の脅しをかけているこの時に大方の政治家から強い反論が出ない・・・私に・・・は聞こえない・・・次期有力首相と期待される高市早苗の気迫の声に励まされる。だがほかには・・・

 

 アメリカとの軍事同盟が日本を守ると期待しているのか。なればアメリカ軍を駐留させている今日の現実は、まさに我が国はアメリカの属国・植民地だ。私たちはこの日本を守り抜くためには自衛隊軍事力を2倍3倍にしなければなるまい。武力なくして国家は守れない。何をためらうのか、怯えるのか?

 

 大東亜戦争を決断した当時の日本軍最高指導者の一人、海軍軍令部総長永野修身大将の当時の武人たちの覚悟と後世の私たちに託した祖国の復活の言葉(祈り)を思い出そう。軍人に限るまい。先人たちの、日本の“心意気”だったのだと思う。

 

戦争も亡国かも知れない

だが戦わずしての亡国は

魂までも喪失する

永久の亡国である

 

たとえ一旦の亡国になろうとも

最後の一兵まで戦い抜けば

我らの子孫は

この精神を受け継いで

必ずや再起三起するであろう

 

            (令和4年8月)

私の「大東亜戦争聖戦論」とは?

 

 多くの言論人、歴史学者たちが我らの大東亜戦争肯定論を論じている。日本最大の戦争であった大東亜戦争は、日本が白人列強やソ連に追い詰められ、シナの内乱泥沼に巻き込まれた自存自衛、祖国防衛の戦いであったことを述べている。いわゆる肯定論である。それに対して私は50代初頭に大東亜戦争の多くの真実を知るに至り、おそらくそれから数年を経ずしてほぼ本能的にこの戦争は世界戦史、いや世界歴史の最大の“聖戦”であろうと認識した。

 

 世界の三大聖戦と呼ばれるものがある。聖戦とは公(国のため一命を捧げる)ことである。ギリシア・スパルタカスのテルモビー、イスラエル・マサダ、アメリカ・テキサスのアラモ砦の戦いである。これらの国で今日なお人々は彼ら先人たちを心から顕彰している。では我が日本ではどうであろうか。我が国の最も大事な8月15日には、多くは、“戦争で亡くなった方々、犠牲者を悼む、可哀そうだ」と戦没者慰霊祭を行っている。そして靖國神社神前で”二度と戦争はしません“、何としても平和を守ります”、「敵が攻めてくるまで戦いません(専守防衛)などと、国家の英霊に誓っている!?自分たちのために、後世の子孫のために一度きりの人生を捧げた先人たちを、国民、マスコミ、政治家、知識人たちは讃えることはない・・・

 

 硫黄島、サイパン、沖縄、フイリピンなど260万の先人・父祖たちが、特攻、切り込み、玉砕。自決など死ぬることを覚悟しながら国家・民族の永遠を祈り大空に舞っていたことを忘れてはなるまい、忘れてはならないのだ。文字通り世界を相手に自国の存続を祈り、アジア同胞の列強植民地からの解放の闘いに挑んだ先人たちの闘いは世界三大最聖戦をはるかに超えた世界戦史上最大の聖戦であろう。世界の歴史を大転換させたのだ。あれからまだ80年しかたっていない。私たちはこの戦争をみんなで語り合おうではないか。外国人とも話し合っていこうではないか。未来の日本人に、われらの子孫に語り継いでいくことこそ我ら現代人の使命であろう。

 

 私はこの想いを込めてこの本を書いた・・・

 

(令和4年7月21日)