人生2度なし―戦争の時代を生きた人々

 

子供ころ、多分小学低学年のころまでは、あまりに当たり前のことだが、「人は死ねば2度と生き返らない」と思い込み怖かった。それが私たち人間、いやこの地球上の生命を持つものにどんな意味があるのかということまで深くは考えなかった。そのためか隣近所のおじいちゃん、おばあちゃんなどが高齢で亡くなってもそれほど悲しくはならなかった。だがやがて自分が小学高学年、中学生になるにつれて、身内の家族や親戚の叔父さん叔母さんなどが死んでいくにつれて少しずつ人生とは、人の世とは、人間の死とはついて考えるようになった。

 

40代の頃であったと思う。国民教育の父と言われた森信三の「人生2度なし」の言葉に遭遇した。恥ずかしいがこの世のあまりの究極の真実に愕然とした。知ってはいた。誰でも知っているだろう。だが驚いた!そんな時に人々からあまり語られることにない「大東亜戦争」のわが日本の正統性を学ぶにつれ、私自身の「人生宿命論」に辿り着いた。人はこの世に生まれるとき、その時(時代)、場所(国・郷土など)や両親兄弟など家族、同窓(幼馴染み)など全て自分自身では選べないことに“気がついた”。そのことが私たちの人生に、自分の生まれながらの時代環境や能力・性格などと相まって自分の運命に決定的な影響を及ぼしていることに思い至ったのである。

 

私たち人間にとって日々平穏に暮らせることは何よりの幸せである。夢を持ち、自分のやりたいことを追求し、家族兄弟姉妹たちと仲良く過ごせることが何よりだ。しかし現実にはこの地上に60億から70億の人間の中には必ずしもそのような日々をもつこともその生を終えるまで平穏に生きることができない人々もいる。地震、火事や自然災害、交通事故、思わぬ病気から戦争に巻き込まることは現実の人間社にある。私と同じ世代に生まれ戦後日本の「平和」な時代に生きているものとってもその運命は様々だ。宇宙とは言わないでも、この地球でさえ46億年の「時」をもっている。我らの50年、100年は人生もそれはまさに一瞬に過ぎまい。思えば昭和、特に前半に生まれ合わせた私たちの先人たちに故国最大の興亡の時であった「大東亜戦争」前後の時代に生きていたのだ。同じ世代に、ドイツにはヒットラー、ロシア(のちのソ連)にレーニン・スターリンが国民を支配した。いや賛同した国民もいたであろう。欧州を中心に何千万の人々が殺されている。否戦闘ばかりでなく、ユダヤ人虐殺、共産党内紛の総括などで一億を超す人間が抹殺されているのである。それでもかの国民にはヒットラーやスターリンの強圧を拒否する運命の選択肢はなかったのである。この時代昭和16(1944)年に生きた我らの先人・父祖たちにも時代の宿命、また運命も厳しかった。英米が、ソ連・中国など世界が我が日本を理不尽に攻めてきたのだ。祖国の存亡の危機に私たちの時代を超えた同胞たちは、ただ一度きりの人生を祖国のため、郷土、家族のために捧げたのである。蒋介石、毛沢東、ルーズベルト、チャーチルなどが我らの先人たちと、いや日本と日本人とこの世に共存することを拒んできたのだ。追い詰められた我が国は戦った。多くの戦場に敗れても降伏を拒否し、玉砕、自決などを敢行し闘い切った。その果てに多くの若い命を特攻で敵国戦艦へ突撃していったのである。特攻隊員だけではない。あの時代に生きた、日本に生まれ合わせた先人たちは後世に生きる子孫へ祖国を遺すことを最大の宿命運命として自らの命を超えた道義に生き抜かれたのである。そこには現代の私たちの想像を超えた愛国心・祖国愛が、伝統と歴史を守る気概が燃えていたのであろう。あるいは、いやむしろ“喜んで”その一度きりの人生を祖国に捧げたといえようか・・・

 

いつの世にも思い通りにはいかないものがある。その自分に課された人生の宿命をどのように捉え、最大限に活かし切るかはその人の置かれた条件や自らの能力性格などが大きく左右していくものであろう。生きがいも、また“死にがい”もさまざまである・・・

 

                                          (令和4年12月8日)