【ペリリューからイスラエル】旅は帰る場所があるから旅っていうんだよ | 【日本一鍼を打つ治療家】鍼師おざわの治療哲学Blog

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創業18周年
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【銀座並木通り分院 】鍼治療〈東京 おざわ〉東京都中央区銀座2丁目4-19-5F

 

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日本人が忘れてはならない4つの日。

『6月23日 沖縄慰霊の日』

『8月 6日 広島原爆の日』

『8月 9日 長崎原爆の日』

『8月15日 終戦記念の日』





 

私が『オヤジ』と呼ぶ人間は、

靖国神社八千代食堂のオーナーです。





数多くの飲食店を経営しており、

靖国神社側から『あの男しか、この食堂は経営出来ない…』とオファーを受けたそうです。




八千代食堂では『特攻の母』と呼ばれる『鳥濱トメさんの玉子丼』を提供しています。




鳥濱トメさんは、当時貴重な玉子を仕入れ、特攻していく若者たちに玉子丼を食べさせていました。





八千代食堂では知覧にある富屋食堂からわざわざ『割り下』を空輸して調理をしています。




 

6年前ぐらいでしょうか、

オヤジとの縁をキッカケに日本のことを知ろうとする自分と出会いました。




知ろうとすることをすると、

知らないことさえ知らなかったことに驚きます。




 

『国寛、パラオに一緒に行かないか?』

「オヤジ、行きましょう」





パラオ・ペリリュー島の激戦区に慰霊の旅に行くことになりました。




 

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2015年、当時の天皇皇后両陛下が慰霊の旅に行かれた島『ペリリュー島』




パラオはスペイン・ドイツ、そして日本が統治していた国です。




日本語も残っており、トイレをベンジョ、昼飯をベントーといいます。





日本という国は『シラス国』といわれています。




一緒に生きていこう、

育てていこう…という共存心です。





コメを一緒に育てたり、

学校を作ったり、

インフラ整備したり、

橋を作ったり。。。






他国は『うしはく国』といいます。

奪う国。

搾取することにより自国を潤わせようとします。





現地の人は皆、口を揃えてこう言うのです。




『日本が統治していた頃がイチバン良かった。一緒に生きようとしてくれた。』と。





 

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1日でも長く…

1日でも長く...



ペリリュー島での戦いが硫黄島でも再現され、

持久戦となりました。





この持久戦が無ければ、

日本本土まで攻め込まれていたと言われています。




日本での唯一の地上戦は、

沖縄本土…のみ。




 

 

 

 

2025年2月、終戦後80年の年…

『小沢さん、イスラエル行きましょう』

「えっ?イスラエル?マジで?



…よし、行こう!」




初めは戸惑いましたが、

イスラエルに日本人が日本を知る答えがあると言われ行くことにしました。





(2025年2月のブログにたくさん書いてあるので見てみて下さい。)

イスラエルブログ

イスラエルブログ②

イスラエルブログ③

イスラエルブログ④

イスラエルブログ⑤

イスラエルブログ⑦

イスラエルブログ完結

 




だいたいメディアで言っていることは『嘘』です。

実際に体感したから分かります。

 




 

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『旅は、帰るところがあるから旅っていうんだよ』

『日本は自分たちの為にあるんじゃないよ。子供たちの為にあるんだよ。』


共に旅をした赤塚高仁先生の言葉が響きました。

 




ペリリューを足裏で感じ、

イスラエルで日本という国の大切さを感じました。

 




ありがとうの反対は、アタリマエです。

人間それぞれ得手不得手があります。

得意なことで、伝えていこう。



 

 

私は鍼治療を通じ、

人間をたくさんみて、

自分自身をみています。





自分自身から逃げていると、

他人が見えなくなってしまいます。




 

他人は、自分が見せているものであり、

他人に感じるもので、自分をみています。




そうみせているのは、

自分自身なんだ…と、ハッ!…と気が付いた時、

自分に返る。

自反する。




 

驚いて、

疑って、

自反する。




 

魚に水が見えないように、

鳥に空気が見えないように、

日本人に日本が見えていない。



そして、

自分自身に自分自身が見えていないのではないか。

 



『見えないものを見る』…ということは、

『知らないことさえ知らなかったんだ』…という未見の我との邂逅がある。

 



 

 

 

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