坂本龍馬は『自我狂』…という字を、好んで書いていました。
吉田松陰は『諸君、狂いたまえ!』…と、若者たちを鼓舞したそうです。
現代人は冷めてしかものを見られない。だから狂えない。歴史に名を残す者は大愚の世界を生きた者。
『狂えないこと』それは人間として不健全であり、不自然なことではないか。
『狂愚まことに愛すべし』というのは吉田松陰の言葉です。私の好きな言葉。
彼は、『法螺も叶えりゃ法螺ではない。ど阿呆になれ。ど阿呆は狂愚の人。』
それと同時に『才良まことに恐るべし』とも言っています。狂愚は愛すべきだ。しかし『頭のいいだけの人間がいかに恐ろしいか』…ということを松蔭は知っていたのです。
『愚』の魅力は、阿呆になれること。馬鹿になれること。そういう人物の下には、『この人の為に…』と皆が思う。
一方、頭人間は慕われない。人も寄り付かない。
虚構や虚勢、仮面や虚像が分厚い。構えている。固い。
利口は馬鹿で、馬鹿が利口なのではないか。
今を全力で生きているか。
自らを妥協したら嘘つきです。
自分自身を愛した幅、自分自身が感じた辛さ、自分自身が流した涙。
その自分自身が体感した『幅』でしかない。落ち込むときは落ち込み尽くせ。
落ち込んだ先に必ず着く所がある。それを『落ち着く』という。それまで狂うほど悩んで落ち込めばいい。
狂こそ健全。狂えない人間は不健全で不自然ですよ。
4年前から国立おざわに通う患者さん。
有名大学の大学院卒。今年三十路になる男です。
暗い。とにかく暗い。(本人も分かっていると思う)
ただ、私は出会った時から、彼の中に住む秘めたる『狂』が気になっていました。
私が彼を観て思うのは、私が観せているもの。
逆に彼が私を観て思うのも、彼が自分自身に観せているもの。
あまり会話も無いまま約4年。
ただ、三十路近づく彼の心には燃えるものがある。
彼に言いました『〇〇さん、ハッキリ言うが、社会人が似合わん。自分で起業しなよ。』
その瞬間、彼の心が揺れたのが観えました。感応道交の瞬間。
彼に一冊の本を渡しました。『頭は要らないよ。感じたらすぐ動け。』実感即動。
4年越しの、今まで見せた事ない様な笑顔で帰った彼は今、未見の我と向き合っているかもしれない。
日本人は心に秘めたる『狂』を必ず持っています。
狂愚を愛すべき理由は、頭は要らない、実感即動。感じたらすぐ動くからこそ、新しいものが生まれるんですよ。
狂え狂え。自分に妥協するな。妥協した自分を赦すな。全力で生きろ。
だから私は、鍼治療『道』と呼びます。18年間狂いながら全力ですよ。
しかし、まだ山の麓。
狂愚まことに愛すべし。