『~は~であるべきである』
そんな常識は果たして正しいのでしょうか。
私は昔から人と違ったものが好きです。
同じ事をするのが嫌いですし団体行動も苦手。
知り合いは多いのですが、友達が少ないのは地元でも有名です。
「常識」が昔から苦手です。
むしろ常識を敬遠しているのかもしれません。
なぜならばその中で生きていると新しいものの価値が理解できなくなり戸惑ってしまう様な気がするからです。
多くの妥協を繰り返していると価値を見失います。
私の場合、妥協しないというのは鍼治療での技術です。
多店舗での展開をしない理由もその一つ。
私の目の届く範囲にて、小沢流の鍼治療道を正当に進化させたいからです。
99%の完成でも、1%の不満があれば、それを無くす為に時間をかけます。
それがオリジナル。
満足の為に、未来を肯定する事は良い引き寄せにもなるでしょう。
自身がオリジナルであるという事を忘れない勇気も大事です。
常識的な価値というのはいずれ飽きます。
オリジナルの発想にて、未来を肯定できるモノ・行動・思考に出会う。
自分が過ごしてきた過去にご褒美を与えるよりも、未来を思わせてくれる価値に出会えるかどうかなのではないでしょうか。
これは全てに言える事だと私は思っています。
出会うまでに時間がかかるかもしれませんが、ググッと思う事によって不思議と自然に引き寄せられていい出会いがあるものです。
国立おざわ鍼灸・整骨院
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