最近教育法についての批判をよく耳にするので、考えてみました。
音大進学を視野に入れた、成長期の子供さんによくあるレッスン法。
ハノン、ツェルニー、バッハ、モーツァルトやショパン等の曲・・・というセットです。
実はこれは、大変理にかなっておりました。
しっかりピアノを弾く手を作る。
バッハで音楽の基礎をしっかり学ぶ。
モーツァルトやショパン等で、実際に曲を完成させる。
ソルフェージュで更に音楽性を高める
早期教育を経て、音大進学できるレベルを育てるのに最適です。
現実にはしっかりした手を作る練習法と実際の弾き方に違いがあります。
そこを理解しないと、心無い音で弾く事が身についてしまいます。
速く、しっかり弾ける事は良い事です。
只、必要以上に平気で弾いてしまう感性は困ります。
ここをきちんと考えないと、一番大事な耳が育ちません。
バッハの指導は更に大変です。(ややこしいですから
)とりあえず各声部を歌わせる為、テーマを大きな音で強調させる先生もいらっしゃいます。
これは手段ですが、テーマの入りを強く弾く事が常に正しい訳ではありません。
生徒さんに各声部を整理させるために、最初ペダルの使用を控えさせる事があります。
すると「バッハにペダルはいけない」と教わった・・・となってしまいます。
そう思い込んだ方が、先生になって教える立場になる事もあります。
どこかで目的と手段が混同してしまうのです。
一昔前、案外その事には触れませんでした。
なので、とんでもなく非音楽的な演奏をする学生も中にはいました。
音大進学はやめろ、とか教育法云々・・・と言われた原因でもあります。
しかし、これはこれで良いのです。
毎年数百人という音大卒の中から、世界で通用する一人を育てるやり方です。
大勢のピアノ学習者を対象としてはいないのです。
私の様に、世界で通用するピアニストになれなかった大勢の音大卒業生。
ピアノの先生になっています。(笑)
もちろん世界で通用するピアニストでなくても、素晴らしい先生は大勢いらっしゃいます。
時にアマチュアの方、音大卒の方などから、教育法や音大についての批判をよく聞きます。
もちろん一理あります。
しかし批判しているのは、その教育法の対象でなかった私の様な学生だった人です。
又は実際に音大等に行かず、そういう教育を受けていない方もいらっしゃいます。
音楽を学ぶなら、歴史に残った素晴らしい作品、演奏に沢山触れる事が大切です。
そうすれば、自然と自分の耳がそれを求めます。
もし習う事と矛盾が生じても、自分の感性で解決できます。
自分の弾き方は、結局、散々悩んで自分で見つけるしかないのです。
現代では沢山の教本やメソッドがあり、それは良い事です。
どれが淘汰されて残るのか、わかりません。
時代も変わっているのです。
只歴史に残ったバイエルやツェルニー、やはり素晴らしい教本です。
その使い方、目的をきちんと理解する事が大切です。
現代では生徒さんの年齢、環境は様々です。
最適なテキストや練習法を提示してあげられる事が大切です。
様々なテキストに目を通しますが、なかなか難しいです。
現実には効率よい事が大切です。が、効率良い=音楽的に良いかは疑問です。
それぞれの人の大きな目的を尊重しつつ、何を犠牲にするか・・・
目的がショパンを弾くことなら、ソルフェージュやバッハに重点を置く。
とりあえず曲を弾いて楽しみたいなら、まずはバスティン等は効率が良いです。
クラシックを基礎からやりたいなら、メトードローズ等も良いかもしれません。
先生の資質が問われますネ。(怖~~~っ!)

