あえて土塁を設けないということ 【駿河国・葛山城 vol.5】 | ひとり灯(ともしび)のもとに文をひろげて

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今回は駿河国葛山城のご紹介、第5弾となります。

前回はこちらから

 

 

 

葛山城のもう一つの特徴として、一の郭と二の郭(帯曲輪)の南側と東側には、虎口付近を除いて土塁のあとが認められないというのがあります。

 

これはおそらく後世の地形改変によるものではなく、当時から土塁が築かれていなかったものと思われます。ちょっと自分が撮ってきた何枚かの写真で、確認してみます。

 

最初に、こちらの鳥瞰図で写真を撮った位置を示しておきますね。

良かったら参考になさってくださいルンルン

 

 

 

まず、こちらは一の郭南側から西を向いて二の郭から続く帯曲輪を撮ったもの。鳥瞰図だと1番の場所です。

 

 

この写真を見ると、一の郭南側に土塁があったようには見えません。もともと切岸(きりぎし:人工的に斜面を削って崖にしたもの)だったところが長い年月を経て、なだらかな斜面になってしまったと考えられますが、それでも当時土塁があれば、ここまでなだらかにはならないように思います。

 

それともう一つ注目していただきたいのが、一の郭と二の郭との高低差です。この高低差なら万が一、ズルッといってしまっても大したことなさそうな感じです。

 

あ、高低差はこっちの方がわかりやすいかなはてなマーク

 

 

画面右が一の郭側、左が堀底道側になります音譜

 

 

一方、こちらは二の郭から続く帯曲輪(おび-くるわ)から下段の堀底道を撮ったものです。写真の位置は鳥瞰図だと2番のところになります。

 

 

ここも土塁の痕跡は認められません。

ただ、二の郭と堀底道の高低差、これはかなりあります。

堀底道の土塁がだいぶ下にあるのがおわかりいただけると思います。

ズルッといった場合、擦り傷による流血があるかもしれませんキョロキョロ汗

 

 

こちらは鳥瞰図3番の地点。

 

 

この写真でも帯曲輪と堀底道との高低差が如実にわかりますね。

画面左側が堀底道です。

それと、ここにもかつて土塁があったようには思えません。

 

そしてこの画面から左に90度向いた写真が下の写真。

帯曲輪から堀底道に接続する竪堀3号堀を撮ったものになります。

 

 

そしてそして、鳥瞰図4番の地点から撮った写真がこちら。

 

 

見てください!この高低差!!

もうここでズルったら絶対に身体のどこかしらを強打すると思いますおねがい

 

この写真に写っている地点は、鳥瞰図で言うと、薄くオレンジ色に色付けされている場所になります。木々で隠れてしまっていますが、画面右上方向が仙年寺からの上り道、画面左が東二重堀切の2号堀になります。

 

葛山城のご紹介の第2弾で、

 

「ここに居ようものなら、城方は矢や石をほとんど頭上から降り注いでくることでしょう」

 

と少しお話ししましたが、ちょうどこの場所が仙年寺からの階段を上り切ったところの真上になるのですウインク
 
 
さ、今回最後の写真は、帯曲輪の終点、4番の地点あたりから北側を撮ったものです。こちらにはしっかり土塁があります。
 
 

このように、一の郭の東側と南側、二の郭から続く帯曲輪の東側と南側は土塁の跡が認められませんでした。
 
これについては定かな事はわからないのですが、私が素人なりに考えると、
 
あえて土塁を設けないでおいた方が防御しやすかったから。
 
ただ、一の郭と二の郭の切岸の高低差はあまりないので、敵を食い止める想定をしていたのはあくまで二の郭や帯曲輪だったんだと思います。つまり、葛山城は二の郭や帯曲輪を抜かれたら落城確定っていったところでしょうか…。
 
この土塁を設けないということについては色々な意見があると思います。あなたはどのように考えますか?
(こうして色々城の構造であれこれ考えるのも楽しいものですルンルン

 

 

 

今回はここまでですニコ

ホントは葛山城の西側までを紹介したかったのですが、次回にします。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。

 

右矢印葛山城の範囲はどこまで?(西側編) 【駿河国・葛山城 vol.6】

 

 

 


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