駿河国・葛山城のご紹介、第6弾になります。
もうそろそろ終わりにしないとですね~
あ、前回はこちらからどうぞ。
葛山城は上の鳥瞰図で描いた範囲が大体の城の範囲と考えられていますが、約40年前に出版された日本の城のバイブルとされる『日本城郭大系』の解説では、葛山城はもう少し東西に曲輪があったことになっています。
では、今回は城の西の方の現状を見にいってみます
まず葛山城の西には、この城の特徴の一つである二重堀切が横たわります。
こちらは西二重堀切の一つ、5号堀です。
画面右が二の郭側になります。
現代でもこれだけくっきり堀切が残っていたということは、当時はもっと急峻だったんでしょうね~
そして、こちらが6号堀。
杉の木が並んでいますが、ちょうどそこが堀底です。
5号掘に比べて浅い感じですが、ここまで残ってればこちらもなかなか深い堀切だったことは想像がつきます。
これは二の郭西側土塁上から西二重堀切を撮ったものです。二の郭土塁からだとかなりの高低差がありますね
わかりづらいですが、手前が5号堀、奥が6号堀になります。
さて、『日本城郭大系』にいう西の郭はこの二重堀切(6号堀)のすぐ西にあります。6号掘のやや急な斜面を登って…っと。
ここが西の郭とされる場所のようです。ですが…郭らしい雰囲気はあまりありません。単なる尾根道のような感じもします。
この無残な姿となっている表示板がなければ、ここが郭であるとは気がつかないでしょう。
『日本城郭大系』はここが郭であった根拠として、この郭のさらに西に堀切が認められるからとしています。
さらに西へ行ってみましょう。
尾根道が下っています。
堀切というのは、あの下りきったあたりでしょうか…。確かにこの部分はかなり下って、尾根道が落ち込んではいるものの、自然の地形ではないかとも思われ、先ほどの5号、6号の堀切に比べて、全然明瞭ではありません。
単なる藪にしか見えないと思いますが、ここが尾根道を下りきったところです。ちょうど草木が茂っているあたりが浅い沢のようになっていましたが、これを堀切といっていいのかわかりません
(ちょっと疲れたせいか写真がブレ気味です。笑)
そういえば、この葛山城の水の手(みずのて:城の水源)は一体どこなのでしょう
水は生命線とも言える大事なものなので、山城ではこの水の入手が大変重要なものであるはずなんですが、水の気配はありません。
と、思っていたら、ちょうど上の写真の場所から少し西へ行くと、「水の手」への案内看板がありました。
せっかくなので、「水の手」も見に行くことにしました。
写真ではあまり伝わらないかもしれませんが、
「うーん、来なきゃよかった」と思うほど、道が狭くて木の根っこが飛び出してとても歩きづらい道です。この写真の右側は、崖とまではいきませんが、かなりの急斜面です。
こちらがその急斜面。
一応虎ロープを張ってくださっていますが、本当に滑り落ちそうになったときの最後の頼みの綱として使うと良いでしょう
この急斜面を下った先には水が流れています。
画面中央、水面がかすかに光っているのがわかりますでしょうか。
そして、この水の出所を辿っていくと・・・。
トタンで蓋をされていますが、どうやらここが水の手のようです。
でもこの場所、もう城の主郭からはだいぶ離れています。
きっとここまで兵が水を汲みに来て、城内に置いてある甕にためていたのかもしれませんね。
あー、なんか疲れた~(笑)
そうそう、そういえばここの水の手近くでヘビさまと遭遇しましたっ
山城散策って気候が暖かくなってくると、いろんな生き物が活発になるので、気をつけなければいけないですね。
ヘビさまとか、ハチ公とか。
この時わたくしめが遭遇したのは、ヤマカガシさまでした。
よそ見してたら危うく踏んでしまうところでした
あの独特の模様がチラッと目に入って、っっ
とっさに身をスッと引いて離れましたが、当のヤマカガシさまはつぶらな瞳でジッとこちらを見ていました(ちょっとかわいい)
「ごめんね、ごめんね、驚かせちゃったね~」
水の手付近は湿気が多いから余計にヘビさまに遭遇し易いのかも。
みなさまも山城散策した時は気を付けてくださいね
ってことで今回はここまでです。
次回が葛山城の紹介最終回になれるかな
今度は東側の方を散策したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました
葛山城の範囲はどこまで?(東側編) 【駿河国・葛山城 vol.7】