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両親の離婚を経験した子供達へ

僕は5年前に20年ぶりに父さんと会って話をしました。自分と向き合い、家族と向き合う大切さを書いています。

●元親と言うのは存在しない


どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。


親子関係って、色々な形があります。


生んでくれた親や、育ててくれた親。


生んでくれた親が厳しくて毒親と言う親もいるでしょう。


でも、僕が思う事はですね。


自分の親を否定している時って、自分を否定している事に繋がっているんですね。


親を否定している子供は総じて、自分に自信がもてない子が圧倒的に多いです。


自分に自信が持てないから、閉ざす子や暴れる子もいれば、自分に自信が持てないから、がむしゃらにがんばる子もいます。


どちらも、自分に自信が持てないから出る行動です。


自分に自信が持てないと言うのは本当にツラい事です。


でもですね。


そんな時は、自分の中にある欠乏感を見てほしいんですね。


何を求めているのか?


それは認められる事なんですね。


幼少期に否定された苦しみが劣等感となって、欠乏感を生んだ。


例えば、子供の頃親に凄く怒られて自信が無くなった。


やりたい事をやってたら怒られた、だから私はやりたい事をやってはダメなんだ。


そうやって、自分の中に劣等感が生まれていったんですね。


でもですね。


親が怒った事はあなたを否定したのではなくて、親も親として完璧じゃないと言う事です。


完璧な親なんてこの世にいません。


オールマイティな親なんてこの世にいません。


親だって、親から受けた劣等感を抱えて生きています。


それを手放すか試行錯誤しながら生きています。


そんな中で、子供に無意識のうちに自分が受けた劣等感のバトンを渡してるんですね。


それで、そのバトンをあなたは受け取ってしまった。


このバトンを持っている以上、あなたに子供が出来れば、今度はあなたが、子供に無意識のうちに劣等感のバトンを渡してしまいます。


ここで出来る事はですね。


親だって未熟で、親が抱えていた劣等感のバトンを私は渡されたんだ。


この劣等感はもともと私のではないから必要ない。


そうやって手放すんですね。


そうする事で自分が楽になって、そのバトンを子供に受け渡さなくて済むのです。


それでタイトルの元親と言うのは存在しないですが、親はどこまでいっても親です。


例え、どんな親だろうと親は親です。


もし、親に苦しい目に合わせられたなら、それ許そうよとは言いません。


でも、傷ついた自分をいつまでも劣等感の中に住まわせるのはやめてた方が良いです。


子供を容易に傷つける親は、親としてもっとも未熟な親です。


その親から受けた傷をバトンをいつまでもあなたが持つ必要なんてないんです。


あなたは元々は劣等感なんかなかった自由な存在だった。


だから、自分はいつでも自由な存在に戻る事が出来る。


そして、負の連鎖を、自分の手で止める責任がある。


自分の為にも。


親から受けた傷を一生涯背負って生きているなんてバカげてる。


そんなもの捨ててしまって、もっと自分の人生を大切にしよう。


人生なんて無限にあるわけじゃないし、自分の人生は今自分が生きてるのだから。


もっと、自分を大切にして、自分を愛そう。

●子供達も両親と同じように離婚について悩んでいる

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

満野和敏(みつのかずとし)です。

今日はこの曲に、両親の離婚を経験した方からコメントを頂きました。



コメントの内容を抜粋すると、このような内容です。

私は1年程前に親が離婚して
自分が分からなくなって来て
今も立ち直れていません
今は少しだけ学校に行ってます
この歌を聴くと涙が出て来ます
でも何だか心が落ち着きます
自分が思ってる事が分かってくれてる気がして
安心しますよー(笑)
誰にも言えなかった悩みが
言えた気がして
この歌 サイコー❗️
長文失礼しました~


僕はこのコメントを読んだ時に胸が熱くなりました。

そして、この曲で救われる子達がいる事を嬉しく思いました。

僕がこの曲を書いたのは、両親の離婚で苦しんでいる子供達の心が軽くなるようにとの思いで書いた曲だからです。

多くの子供達は、誰にも相談出来ずに人知れず悩んでいます。

大人のようにたくさんの選択肢があるわけでもありません。

ほぼ、自動的に決まる出来事の中で、従うしかないんですね。

だから、多くの子供達は、自分の心がついていかないままに、両親と離れ離れになって、新たな生活がスタートすると言う事が多くあるんです。

なので、誰にも言えずに辛くて、でも、誰に相談して良いかもわからない。

母さんにも父さんにも言えない。

どの大人に頼れば良いの?

そんな風に思い悩みながら、過ごしている子達は多いんですね。

だからこそ、周りの大人が手を差し伸べてあげてほしい。

でも、この声も届かない事が多い。

だから、曲を書いたんですね。

子供達の心が少しでも救われるように。

多くの大人達に、子供達を救ってほしい。

両親の離婚に悩んでいる子がいたら、この曲やブログをシェアして欲しい。

一人じゃないよって。

同じ経験をした人がいるよって。

そうやって、一人一人の優しさが社会全体の輪になって、多くの子供達を救うきっかけになると思います。

今日は久しぶりのブログですが、楽曲についたコメントを見て、ブログを書きたくなったので書きました。

●子供の気持ちを一番に考えろとは言わないけど


どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。


子供の気持ちを一番に考えて欲しい。


と言うのは、なかなか難しい事かもしれません。


また、親は、自分の全てを犠牲にしてでも、子供の事を優先してほしい。


とも思いません。


ただ、僕が思う事はですね。


子供の気持ちも聞いてあげてほしいんですね。


子供の自由を奪わないであげてほしいんですね。


親が自分ばかりを優先して、子供の気持ちは無視する。


そしたら、親は自由で、子供は不自由。


これはおかしいですよね。


そうなると、親子関係に必ず問題が出てきます。


ですので、親は自由で、子供も自由。


そんな風に、子供の選択の自由も認めてほしいんですね。


最初から選択の自由が無いと言うのはツライです。


だから、親も子供も自由に選択出来る形が良いですね。

●子育てをした事無いから言える言葉もある


どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。


子育ての悩みについて語ったりしている時に、このような言葉を言う人がいます。


子供も育てた事無いのに、えらそうな事を言うな!!


そして、このような言葉を言う人にこう返す人もいます。


子供をまともに育てられてないから今悩んでいるんじゃないか!まともに子育ても出来てないのに、えらそうな事を言うな!!


このような事の言い合いは、ただの論点違いの争いですよね。


じゃあ、子育ての悩みについて、語って良い人とはどういう人でしょうか?


理想は、子育てを完璧にこなして、あらゆる悩みを解決して、今、家族関係が最高にハッピーで、親も子供達も成功している人。


このような人の言葉は、間違いなく響くでしょうし、学びにもなりますよね。


でも、実際にこのような人が、この世にどのくらいいるのでしょうか?


いたら、切実に会ってみたいです。


ぜひ、紹介して欲しいです。


話はそれましたが(笑)


子育てに悩んでいる人も、子育てをした事が無い人も、それぞれ子育てについて語れば良いと思うんです。


それはですね。


視点が違うからです。


多角的に物事を見るからこそ、自分の視点では見えなかったものが見える。


私からは三角に見えてたのに、彼からは丸に見えてた、また別の人は四角と言った。


これはそれぞれの真実で、それを複合的に合わすと下記のような形になります。


まるさんかくしかく

ネットからの拾い画です。(製作者さんありがとうございます。)


これが色々な人の言葉を合わせたら浮き出てきたものです。


そして、これがその悩みを解決する重要なものとなってくるんですね。


なので、それぞれの意見が自分と違うからと、間違えていると排除するのはもったいないんですね。


それぞれの答えを合わせて見えてくるものがあるから。


子育てをした事無い人が言える言葉。


それが子供の視点での言葉です。


親にはなった事は無いけど、子供にはなった事がある。


そして、子供の頃の悩みや、子供の頃の悩みの解決の体験談など、違った角度で話をする事が出来ます。


また、人それぞれ体験が違うので、そのどれもが悩みの解決の糸口になるようなものです。


なかには反面教師としての言葉もあるかもしれません。


役に立つ言葉もあるかもしれません。


それを自分の価値観と違うからと頭ごなしに排除してしまうのは違うと思うんですね。


どんな意見も頭から否定せず、そのような意見なんだなと一度見た上で、選べば良い。


結局、自分が悩んでいる時は、自分の中にある価値観に歪みが出来ているから、問題が起きるわけで、それを解決するには、自分の価値観とは違うものを受け入れていく。


そんな自分の難題に取り組む瞬間でもあるんですよね。


ですので、人の言葉を自分と違うからと排除せず、何かそこに新たなヒントが隠されているんじゃないか?


そんな風に耳を傾けてみたら、またひとつ自分の人生が豊かになるんじゃないでしょうか。


ただ、ひとつ言える事は、それぞれの人生の幸せになる方法について語っていると言う事。

●家族の絆って何?


どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。


家族の絆って何だろう?


全て、自分の思い通りにする事?


何だろう?


僕が思う、家族の絆って、みんながみんなの事を尊重しながら、過ごす事が出来る事。


そんな風に思う。


でも、実際は、自分の思いを相手に押し付けて、相手も自分の思いを押し付けて、平行線で進まない事もある。


ただ、そんな時は、自分の本来の思いを思い出すようにしている。


僕はどうしたかったんだっけ?


そうやって、自分の本来の思いを振り返ると、自分の言動や行動もフラットに戻っていく。


問題が起きる時って、自分の本来の思いから、かけ離れている時。


そんな事に気づいたら、自分らしく生きる事って、本当に大切だなって思う。

●子供の気持ちを知りたい方へ

どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。

今度、僕が経営しているライブハウス39で、かみさまのやくそくと言う作品の上映が決定しました。

この作品は、どうして子供が生まれてきたのか?

そういう事を実際に語っているドキュメンタリー映画です。

この作品を見る事によって、救われる人が多いと感じたので、このブログで紹介させていただきました。

僕自身もこの作品を見て、自分が生まれてきた理由や、周りの人達や子供達が生まれた理由などを知り、胸が熱くなりました。

多くのお父さんやお母さんに見てほしい作品です。

下記がかみさまとのやくそくの予告編です。



子供の気持ちを知る事が出来る「かみさまとのやくそく」をご覧になりたい方はこちらをクリックしてください。

●親の愛はストレートには伝わってこない


どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。


母さんや父さんの僕への思い。


どんな思いを抱えていたのか知りたかった。


どんな葛藤をしているのか知りたかった。


どんな苦しみを背負っていたのか知りたかった。


どんな風に愛を出しているのか知りたかった。


何を考え、何を感じ、何に苦しみ、何に喜ぶ。


親の事を僕は何も知らなかった。


同様に、親も僕の事がわからなかった。


そらそうだ。


お互いが、自分の思いをさらけ出さないから、わかるわけがなかった。


でも、わからないからと、さらにさらけ出すことをやめた。


だから、もっともっとわからなくなっていった。


当たり前だね。


わかんなくて。


だって、お互いに話さないし、お互いに聞かない。


相手が話さないとか、聞かないとか関係ない。


自分自身がオープンマインドで100%自分を開いていたかって事。


相手に心を全部さらけだしていたかって事。


心をさらけ出すという事は傷つく事。


心をさらけ出すという事は愛する事。


心をさらけ出すという事は受け入れる事。


そんな風にして、自分の心をさらけ出していたかって事。


人と人とは、素直に進まない。


どれだけの愛を持っていても、ストレートに相手には伝わらない。


だからこそ、言葉がある。


だからこそ、コミュニケーションが必要。


そして、何より自分の心を相手にさらけ出す事が必要。


たとえ、傷つく事がわかっていたとしても。


そうする事によって、より深く相手を自分を知る事が出来る。


書くのはカンタンだけど、やる事は難しい。


誰だって、傷つく事は嫌だからね。


でも、傷つく事が出来るのも生きてる間だけだからね。


傷つく事をさけて、大切なものまで避けちゃう。


それじゃ、本末転倒だね。


あなたの愛を相手に伝えたかったら、相手の愛を受け入れてあげたかったら、心をさらけ出すしかないね。


いっぱい傷ついて、いっぱい笑おう。


それも生きてるからこそ出来る事だからさ。

●父さんと母さんどっちの味方?と子供に聞いた事がある方へ


どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。


あなたは父さんと母さんのどっちの味方なの?


このような質問を子供にした事がある人に質問です。


あなたは自分の父さんと母さんのどっちの味方ですか?


父さんですか?母さんですか?


その理由はどうしてですか?


浮気ですか?借金ですか?暴力ですか?


どうして、片方の親だけの味方をしようと思ったのですか?


もう片方の親に対しては、申し訳ないと言う思いはありませんか?


申し訳ないと思う気持ちより、怒りや悲しみの方が大きいですか?


それとも、子供にはそんな質問をしながら、まさか、自分は都合良く、父さんと母さんのどちらともの味方とか言い出しますか?


子供にあなたは父さんと母さんのどっちの味方?と言う質問をした事がある人は真剣に考えてみてください。


あなたは父さんと母さんのどちらの味方ですか?


そして、その理由は?


また、子供にそのような質問をした理由は?


その質問をする事によって、子供はどのような気持ちになるか考えて質問しましたか?


子供にもう一人の親の悪口を聞かせ続ける人も同じです。


あなたの父さんと母さん、どちらがクズですか?


あなたの父さんと母さん、どちらが生きている価値が無いですか?


あなたの父さんと母さん、どちらに死んでほしいですか?


子供にもう一人の親の悪口を聞かせる事によって、あなたは何を得ようとしているのですか?


子供はもう一人の親の悪口を聞かされる事によって、どのようになるか考えた事がありますか?


真剣に考えてください。

●別居親の味方をしてほしいと言われても出来ません


どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。


たまに別居親の味方をしてほしいと言う事を言われますが、それは出来ません。


子供はどちらの味方でも無いからです。


子供はどちらの味方と言えば、二人の味方です。


でも、片方の親が子供に私の味方につけと言うと、もう一人の親とは対立する形になります。


そして、それによって苦しむのは、他の誰でもない子供自身です。


一時的に子供を味方につけたと思っている親は、自分自身は安心しているでしょうが、子供が苦しんでいる事には気づきません。


だって、子供が苦しむ事より、自分が傷つかない事ばかりに目を向けているから。


別居親とは、子供と会えていない側の親。


子供と会えない事は辛い事でしょうし、同居親を恨む事もあるでしょう。


でも、だからと言って、一緒に同居親を恨もうぜと子供に持ちかけるのは違うんですね。


それをすると、子供は苦しむし、結果的に親の事を嫌いになりますから。


だから、僕はどちらかだけの味方は出来ません。


ただ、文章によっては、別居親の味方をしているものもあるし、同居親の味方をしているものもある。


それはどうしてか?


それは父さんも母さんも、僕のかけがえのない親だからです。


子供をどうか対立の中に無理やり巻き込まないで下さい。


難しいとは思いますが、巻き込まないで下さい。


子供との関係性を悪化させない為にも。


でも、子供達は、本当は父さんと母さんの味方です。


ただ、環境によってそれを見失う事もありますが、子供は父さんと母さんの味方です。


子供達が幸せに生きられる事に目を向けてみてください。


するとこんな事に気づくかもしれません。


親の幸せが子の幸せに繋がっているって。


親が笑うと子も笑う。


親が幸せだと子も幸せ。


子は親を見て学ぶからこそ、幸せな生き方を示してあげて下さい。


私はこんなに幸せだよって。


そうやって、親が生きてくれていたら、それが子供の希望にもなります。


まずは、あなたから幸せになってください。


自分の好きな事、好きな場所、好きな仲間と遊ぶ。


そうやって、幸せをひとつひとつ増やしていってください。


親が幸せに生きている事って、子供にとって幸せです。

●両親の離婚で自分を見失った時期もあった


どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。


父さんと母さんが離婚した時。


自分の無力さに嘆いた。


自分がチカラない事に傷ついた。


そして、自分の存在を否定した。


自分なんて、両親の役にも立てないくらい情けない存在なんだって。


そして、荒れた。


この頃の僕は、人を傷つけ、自分を傷つける事で、存在を証明しようとしていたのかもしれない。


僕なんて、人を傷つけるだけの必要のない人間だと言う証明。


だから、自分を傷つけ、人を傷つけた。


でも、本当は心のどこかで叫んでた。


誰か、助けてって。


でも、誰も助けてくれなかった。


僕の気持ちをわかってくれる人なんていなかった。


だから、どんどん気持ちはささくれ立ち、すさんでいった。


もう、生きている意味も無いんじゃないか?


そんな風に思った時期もあった。


そして、実際に死の直前まで足を踏み入れ、言葉も喋れず、ものも見れず、言葉も理解出来ず、まともに動く事も出来なくなった時に気づいた。


生きてて良かった。


死んだら、知りたい事を知る事も、自分の気持ちを伝える事も出来ない。


だから、生きよう。


そうやって思った。


確かに、両親の離婚で、父親と会えなくなった事は辛かった。


そして、それによって、自分が自暴自棄になった時もあった。


でも、だからと言って、自分が死を選択する事は違う。


だって、自分が死んだら、僕の気持ちを知る事も出来ないし、伝える事も出来ない。


そんなん、誰がかわいそうって、自分が一番可哀想やん。


自分がこんだけ苦しんだのに、その気持ちを誰一人わかってもらう事無く、人生の幕をおろすなんて、それはあまりにも自分が可哀想過ぎる。


だから、僕は生きる事にした。


伝える事にした。


聞く事にした。


どれだけ時間がかかったとしても、自分が生きている限り、そのチャンスは必ず来る。


そう信じて生きた。


こう決めてから、10年以上の歳月は経ったけど、実際に父さんと会う機会も生まれて話をして、気持ちを伝え、気持ちを聞く事も出来た。


また、母親とも話をして、気持ちを伝え、気持ちを聞く事も出来た。


これは全て、自分が生きてたから出来た事。


自分が生きている間に、自分が苦しむだけで人生の幕引きなんかあかん。


そんなん自分が可哀想やん。


自分が納得する生き方をせな。


もちろん、全てがすぐにうまくいくわけはないかもしれへん。


でも、だからといって諦めるのとは違う。


自分の気持ちと向き合ってたら、どこかで必ず解決される時が来るから。


それを信じて生きる事って大切。


僕はあの時、自分が諦めなかったから、自分の中にあった気持ちを伝え、両親の気持ちを知る事が出来た。


自分の思いに背を向け生きるなんて、格好悪い。


もちろん、時には逃げたくなるけれど。


でも、散々逃げたら、一周して、目的地にたどり着いている事もある。


だから、生きてる事ってほんま大事やで。


自分の思いを知ってもらう為、相手の気持ちを知る為。


生きる。


いつかその日が必ず来る事を信じて。


自分の為に生きよう。