ケンブリッジの風 21 『卒業論文』 | 019|まる・いち・きゅう

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丸い地球をまわりながら考えていることの記録

なんとまぁケンブリッジでの生活の様子を昨年11月からアップしていなかったことに気づいたので少しまとめてアップします。



この後の記事で明らかになるように私はお陰様でケンブリッジを無事卒業し、今はまた新天地で奮闘中です。ただ、そのことについて書くためにはまず「ケンブリッジの風」を完結させなければと過去の原稿を掘り起こす今晩



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卒業論文





mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-font-family:Century">例年に比べてかなり暖かい冬を迎えているここイギリスでも大分冷え込みが激しくなってきた。学期後半となり、学生の間には疲れと休みへの期待が入り混じる。そんな先日、政治学部から正式に卒業論文(以下「卒論」)の題名を承認する報告が郵便で届いた。「Future of
Civil Nuclear Programs from a Risk Perspective
Century">(リスクの観点からみた原子力政策の未来)」。これが私の卒論のテーマだ。



 



mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-font-family:Century">私のコースでは4Century;mso-hansi-font-family:Century">つの必修科目のうち一つを卒論で代替できるので、「安全保障と開発」「上級社会理論」と「社会調査」の3Century;mso-hansi-font-family:Century">科目に加えて、卒論に取り組むことにした。卒論にはこれまでの「講義小論文個別授業」という確立したサイクルはなく、当然予め準備された参考文献もない。アドバイザーは定期的に個別にアドバイスをくれるが、問題設定から情報収集、議論の組み立てなど全ての過程において自分主導の取り組みが前提となる。それ故敬遠する人も多い中、挑戦しようと決めた理由はこれまで学んできた政治や社会学の理論を今最も興味ある原子力政策にあてはめ分析することで、それらの政策を司る政治的原動力を理解したいという学問的好奇心に尽きる。



mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-font-family:Century">科学技術が中心的な役割を果たす近代社会において、「リスク」は再帰的なものとなった。これはつまり、我々はしばしばリスクを軽減するために新たな科学技術を発明・導入するが、その科学技術が実は新たなリスクを生む可能性を秘めているということだ。ただ、何かが「リスク」として認識される過程は必ずしも明瞭ではなく、どのリスクをどれだけ取るかの判断は政治的であることが多い。したがって、今回の研究では原子力エネルギーの導入が軽減するリスク(CO2Century;mso-hansi-font-family:Century">排出量=地球温暖化やエネルギー不足など)と新たに発生するリスク(核拡散、原子力事故など)がこれまで各国の原子力政策においてどのように扱われてきたかを追う。結果的には、各国が政策立案の過程においてどのリスク要因を重要視しているかを明らかにできたらと思う。



mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-font-family:Century">卒論を通してのこの研究は、私なりの原発の是非に関する二元論からの脱却への試みでもある。これまで原発が軽減してきたリスクと新たに私たちに課してきた脅威を冷静に見つめ直すことがエネルギー政策を長期的な視点から立て直す第一歩になると信じている。



 (「ねっとわーくSAITAMA12月号より)



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追記:



この後、研究を進めながら少しずつ方向性を修正し、トピックを狭め、最終的にこの卒業論文は「Political Response to Fukushima from a Risk Perspective (リスクの観点からみた各国のフクシマ後の原子力政策)」と題してフクシマでの事故に焦点をあてたものとなった。



自分の興味のある分野についてとことん文献を漁るという自由を与えてくれたこの卒論に感謝したい。1万語という限られた中でやりきれなかったこともあるし、自分の弱い部分(頑張りきれない自分)を幾度となく見ることにもなったが卒論を書くという選択をしたことは後悔していない。



何よりもケンブリッジの政治学部のProfessor Andrew Gambleに担当教授となってもらえたことは人生においてかけがえのない学びの機会となった。多くを語らずして多くのことに気づかせてくれて、相談にいくたびに新たなインスピレーションをくれたProfessor Gambleの存在は偉大である。



その他卒論執筆にあたって相談に乗ってくださった多くのみなさん、ありがとうございました。



 (ねっとわーくSAITAMA 11月号より)