ラハイナの復興を祈る | 自然治癒力、みるみるアップ(*^^*)ホクレイヒーリングサロン

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私たちが生きている素晴らしい地球。その自然は疲れた心身を優しく癒してくれます。自然の法則に沿って生きれば、細胞も、心も息を吹き返す。心地よく、自然の中にある氣を存分に取り入れ、活力アップで豊かな毎日を!!

昨日かなり思いをこめて書いたマウイ島ラハイナについてのブログが、跡形もなく消えてしまいまして、、、。

何か書いてはいけないこと書いちゃったかしら?と思ってしまいましたが、、、。


氣を取り直し、記録として残しておきたいと思います。


私とラハイナの出会いは2015年の4月。

当時体調不良ながら出張に出た私に元氣を吹き返させてくれたのがマウイ島でした。

マウイを旅立つ最後の日にラハイナの街を訪れ、小鳥達が戯れる大きなバニアンツリーの木陰に癒されました。


そのバニアンツリーは、昨年8月の山火事で燃えてしまいましたが、根は生きているそうで、希望の光です。

マウイ最古のホテルとも言われる、パイオニアインの何ともほっこりする趣きも、今では見ることができなくなってしまいました😭


先日たまたまテレビで観たラハイナの荒廃ぶりには、さらなるショックを受け、この街の復興にはまだまだ時間が、かかることがよく理解できました。


バニアンツリーの先の港は、昔は捕鯨船で賑わい、一大産業でしたが、石油を使うようになると、捕鯨はすたれ、サトウキビ栽培に産業が移行していったのでした。

今では、ラハイナの港からは、ホエールウォッチングの船が出て、哺乳類最大の動物が

家族で泳ぎ、子育てする様が間近にみられる、素晴らしい経験をさせてもらっています。


日本からなら移民がたくさん入ってきたのは、サトウキビの畑の開墾のためでした。


そのサトウキビ栽培も、アメリカ本土で砂糖が、とれるようになったらすたれてしまい

マウイ島は、観光業の島となっていったのです。

本土からの資本が入り、リゾートも開発されていきました。


本土から沢山の人がバカンスに訪れる島になっていったのでした。


ここでラハイナの歴史を少し


1. **ラハイナの街の歴史**: ラハイナは、2023年8月に発生したマウイ島の壊滅的な山火事により、最も激しく影響を受けた地域でした。この山火事は、ラハイナを含む島の大部分を灰と廃墟に変えました。歴史的リゾートタウンとしてのラハイナの損失は、地域社会にとって計り知れないものでした。


2. **王族の話**: ラハイナはかつてハワイ王国の首都であり、ハワイの歴史や王族と深い関係があります。山火事の影響により、この歴史的な背景を持つ街が大きな被害を受けたことは、地元の文化や歴史にとって大きな損失となりました。

1837年から1845年にかけて、ラハイナはカメハメハ三世の居住地であり、彼の統治の下でハワイの初代憲法君主制の首都として機能しました。この地域は、食料が豊富で気候も適度であったため、アリイ(王族)によって好まれていました。また、ラハイナのワイオラ教会は、カメハメハ二世と三世の母であるケオプオラニによって設立され、彼女やその娘であるプリンセス・ナヒエナエナ、カウアイ島最後の統治者カウムアリイなど、多くのアリイが埋葬されている場所でもあります 


3. **捕鯨の話**: ラハイナは、1850年代には年間400隻以上の捕鯨船が訪れるほどの捕鯨の中心地でした。山火事による損害は、この歴史的な捕鯨の遺産にも影響を与えた可能性があります。


パイオニアインは、1901年にジョージ・アラン・フリーランドによって建設されたラハイナ、マウイ島の歴史的な宿泊施設でした。これは、ラハイナおよびマウイ島で最も古いホテルであり、ハワイ州で連続して運営されていた最古のホテルでした。パイオニアインは、米国の国定歴史地区であるラハイナ歴史地区の一部を構成する建物の一つでした。


フリーランドは、ハワイのプランテーションスタイルの建築を取り入れて、来訪者に島の豊かな歴史的過去を体験させることを目指しました。1980年代には、テキサス州ダラス出身のハワード・レノンがリースを取得し、施設の大規模な改修を行い、その歴史的な完全性を保ちつつ現代化を図りました。その後、1997年にベストウェスタン・ホテルズ&リゾーツに加盟しました。


残念ながら、2023年のハワイ山火事でパイオニアインは破壊されました。このホテルは、その地域での長い歴史と文化的重要性から、地域コミュニティにとって大きな損失となりました 


山火事の原因は複数の要因が組み合わさったもので、気候変動やエルニーニョ現象による干ばつ、ハリケーンドラの影響などが挙げられます。これらの自然現象は、山火事の激しさと広がりに大きく寄与したと考えられています 


ラハイナはかつて「太平洋のベニス」と呼ばれ、その豊かな自然環境と水資源で知られていました。しかし、最近の山火事と長年にわたる水利用に関する紛争が、この地域の水資源管理に大きな影響を与えています。


19世紀後半から始まった水資源の流用は、最初はサトウキビプランテーションのためで、その後パイナップル栽培やリゾート開発などに使われてきました。これにより、地元のタロイモ農家や土地所有者に深刻な影響が出ています。


現在の状況は非常に深刻で、ラハイナの水は飲用や歯磨きにも使用できないほど汚染されています。地域の水道システムは大きく損傷しており、水道本管や家庭や事業所への給水管に影響が出ています。郡は2,200の影響を受けたサービスラインを何度もテストし、洗浄する作業を進めていますが、完全な復旧には数年かかる見込みです。さらに、ラハイナの地下水への汚染が懸念されており、それが沿岸水域に浸透することで、レクリエーションや観光に長期的な影響を及ぼす可能性があります。


住民には、化学物質が皮膚を通じて吸収されたり、吸入される可能性があるため、温かい水の使用を避けるよう助言されています。多くの人々は飲料水や入浴用としてボトル入りの水を使用しており、安全が確認されるまでの公共水道の利用に関する警告が出されています。また、歴史的な木造建築が焼けたことにより、空気中にアスベストやヒ素などの有毒物質が含まれている可能性があり、健康上の問題も懸念されています。


ラハイナの状況は、環境保護と公衆衛生に関する問題に留まらず、変化する気候下での自然資源管理の課題や、歴史的な水資源流用の影響を浮き彫りにしています 。


というわけで

街としての復興はそんな単純なものではないようですが、

1日も早くラハイナがポノであるように。

よみがえってくれるよう、祈ります。