ちょいとワタスの事&雑記 | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

2031年アセンションに向けて万全の準備ができたぞ

今思えば、私は20歳代の時から、この味気の無い経済社会の中で生きる事に関して、嫌気と言うべきか、ある種の生き辛さを無意識ながら漠然と感じていた事は確かです。要するに、利便性と利益と近代化を優先させた画一的で味気の無い弥生的経済社会が肌に合わないのだ。そりゃ~あの当時の若さで、しかも無意識下でそんなふうに反社会的な精神で生きていたのだから、精神的には厳しいものがありましたよ。当時悩んでいた若い頃は、渋谷のボロアパートに住んでいて、アルバイト生活しながら演劇や映画シナリオを勉強していたのですが、この時、ホント出家しようか、第二の世界の黒沢明監督を目指そうか真剣に迷っていました。そういう状況の中で、数か月も前から自宅のボロアパートの郵便箱に入っていたビデオセンター紹介の名刺版カードのことを突然思い出したのです。それでその名刺版カードを持って1人でビデオセンターに訪ねて行ったのですが、それが偶然、24歳になった私の誕生日の日でありました。この時初めて私は統一原理と出会ったのであるが、確かに、ここが一つのターニングポイントではありました。しかしそれも束の間、献身してから5年も経たない内に、この組織団体は自分の居場所ではないと直観したので、教団を後にしました。そしてまた真理の炎を求めて新たな人生の旅路が始まったのですが、でもこの時はアルバイトの仕事で便所掃除してても、何か妙に自分の未来に対して希望と期待感があったことをはっきり覚えている。おそらく私の潜在意識の中に統一原理を踏み台にして、もう一つ上の段階へ登るというような思いが無意識の内にあったのだろう、そんな感じがする。そしてこのような真理を求める人生の旅路で次第に年を重ねるに連れて、様々な情報と出会い、社会経験をして行くにしたがって、自分が一体どういう実体世界の中で今を生きているのか、そして世界の事象から隠された深層みたいなものに触れ、闇の権力を絡めた社会的物事のカラクリというものが解ってきたのでした。その後は次第に自分の心がパワフルになっていった感覚を思い出す。

上述した実際に歩んで来た自分の人生経緯と照合して、自分の持つ生年月日と出生場所と出生時間から割り出した宇宙の動き(ホロスコープ)が数理性をもって一致するのだから、神と人生の問題を考察するとき、統一原理を基とする人間の責任分担論だけでは、人生の謎を解くのは明らかに限界があり、真の解答には至らないのである。

 

話が変わります。

 

阿久留王伝説を読んで見て改めて思った事は、千葉県という土地柄は、縄文時代から弥生時代へと移り変わる文明の推移から見て、九州や東北以上に日本で最も摂理的に意味深い所であった。そして縄文文化が栄えていた事です。

大和朝廷側のヤマトタケルによる縄文人東征征伐伝説は日本全国至る処に存在するが、その中でも「弥生文明VS縄文文明」という図式において、その戦いの規模、中身、人間ドラマにおいて、千葉房総半島の「阿久留王伝説」に勝るドラマティックな伝説は他の地域には見られないそうです。それほど、千葉房総の阿久留王は朝廷側ヤマトタケルの軍勢と壮絶な戦いを繰り広げ、タケルの軍勢に損害を与えたというのである。ところで「弥生文明VS縄文文明」の図式とは、現代版に置き変えると、この人類終末期において、利益追求の資本主義肯定派に対して、利益追及をやめて自然を尊重する農的循環社会を標榜する群れとの対峙がこれに匹敵する。この「弥生」の中に含まれる意味は、渡来系日本人が食量大量生産を可能にする水田耕作文化を列島に導入したというだけの単純なものではない。この「弥生」の中には、自然の理を尊重して生きるスタイルや、感覚、そして豊かな芸術性、そんなものを置き去りにして、それ以上に、個性を無くした画一性と利便性と合理性と経済性を追及した物質性の高い意味合いが「弥生」の中に含まれていると感じています。

聖書を基とする統一の創造原理には、「万のものを治めよ」という万物主観を善しとする思想がある。一見するとこれは物質性よりも精神性が優位に立っている事を強調している全うな思想と思いがちだが、これは間違いである。聖書の「万のものを治めよ」万物主観という思想はヤハウェが教えたのだ。ヤハウェ配下の渡来系弥生人が食の大量生産を可能にするために実行したのが水田稲作であるが、これは本来あるべき川の流れを塞き止め、川の水の流れを田畑の方に向けて流し込むという人工的な違う方向に変えてしまった。この事によって弥生時代は縄文時代の時より、食料が圧倒的に増え、短期間で人口が増加した。ここには自然の理に反した万物主観という間違った思想が隠れており、聖書関係者はこれを見抜けない。そして食の量を圧倒的に豊富にするために、川水本来の流れを変える事とは、結果的に見て、人口を増加させる事に直結させる。この弥生人の川の水の流れを変えた事実は、やがてキャパシティが限られている地球上の規模において人口増加問題を引き起こす結果になる。それが今悠久なる時を経て、巡りにめぐってこの現代社会の致命的問題として人類の前に横たわっている。人口爆発だ。これを解決するために闇の奴らが仕掛ける人口削減の為の非情な戦争や毒ワクチンが世に出て来た。あるいは致命傷を併せ持つ万物主観の思想は、人口増加を防ぐために人間の寿命を短くするために食品に添加物を含ませたり、医療界において致命傷を併せ持つ万物主観の思想は、内科的疾患に対して、医者は人間の自然治癒力を忘れて、的外れな化学療法や、薬物療法を当たり前のように行う。このように、現代社会におけるこれら致命的弊害の発端は、遥か昔に弥生人が本来の川の流れを変えてしまうという自然の理に反した誤った万物主観の思想に基づく行為が切っ掛けであったのです。と言ったら信じられますか?

 

二種類の日本人の血統的出自は興味深い

 

アーリア化とは何を意味するのか?

 

CIA系の予測 日本は間もなく臨界点を迎える

 

「アーリア白人種」を用いる理由