文氏の神観&中道空間哲学&甘さん | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

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2031年アセンションに向けて万全の準備ができたぞ

まずはじめに

甘えん坊さんの以下の主張に回答するにあたって、カタカムナが説く「現象世界は不可視の潜象世界から発生した。そしてツインの関係で成立している」という内容と、グノーシスが説く「現世は高次元世界プレーローマの写し絵」という内容をここで加えると話の展開が複雑になるので除外します。

 

甘えん坊さんの主張

 

中庸の精神で延命できた仏法思想ではありますが、神はバランサーが欲しいのではないのですから、目的地が違います。
貴殿の考えでは、21回にも及んだ宇宙創造の意味が割り出せない理法になっていす。

神の意図を考えると、優劣の関係性になっていて残念です。

 

甘えん坊さん、私の言う中道空間哲学は「神はバランサーが欲しい」云々は関係ありません。

私と甘えん坊さんが接点を見い出せず、話が嚙み合わない理由の根幹が神の捉え方にありますね。つまり、甘えん坊さんの主張の前提には、神による宇宙と人間の創造時において、神は既に始めから明確な創造の意図ビジョンを持っていた事を貴方は前提にしています。だから神はバランサーが欲しい訳ではないとか、目的地が違うとか、はたまた21回における破壊と創造の意味が割り出せないとか、神が優劣の関係性を持っているとかの見解を持つ事になります。

その一方で、神による宇宙と人間の創造時において、神の意図ビジョンが介在していなかった事を大前提にしているのがこの私です。こういう哲学の違いから食い違いが生まれて来ると思います。宇宙と人間の創造に、神の意図ビジョンが有るか、無いかです。

尚、

貴殿の考えでは、21回にも及んだ宇宙創造の意味が割り出せない理法になっていす。

 

この見解に対する私の回答は後の方で触れます。

 

 

おそらく甘えん坊さんの信じている神という存在は、神は始めから「意識」も「感情」も「計画性」も「万能性」においては、100点満点の存在であったと神を捉えているのではないですか。違います?

私の信じている宇宙創造時点における神とは、愛と心情はおろか、意識も感情も計画性も万能性も全てにおいてヨチヨチ歩きの赤ちゃんです。なぜなら、私が信じている宇宙創造時点における神とは、この宇宙空間に潜む法則、秩序、ありとあらゆる可能性、個性の無い無色透明な意識の種、1数を生み出す為の法則的ゼロそのものを神と位置づけていますから、宇宙創造時点における神の内面とは100点満点中ゼロ点です。創造の動機づけ、ビジョンなどありません。

表現を変えれば、愛と心情の神が第一原因となって理的宇宙の法則が生まれたのではなく、愛と心情の種を含んだ理的宇宙の法則自体が1数を生み出す空間に潜んだ究極ゼロ神だと言う事です。だから理的宇宙の法則=神です。

宇宙の法則=神、その神の愛と心情が成長して行く為には、この世に生きる無数の人間が歩む人生と重なって、それぞれ二人三脚であらゆる経験と感情を体験し、そして成長していく存在であるという事になります。そしてこのような論理を肯定しなければ、人類の運命がシステム化されたアカッシクレコードに収まる背景が説明できません。と同時に、神の愛と心情とはシステムという理的法則性の傘下で成長していく要素であることが分かります。

そしてこの辺のポイントを押さえてこそ、汎神論の正当性を説明できる根拠に繋がると思います。これに近いような神観を文さんは語っていました。

 

文さんの統一原理から逸脱した神観

       

  この御言から汲み取れる衝撃

 

 「良心は神よりも勝る」を考察する

 

ところで、

 

貴殿の考えでは、21回にも及んだ宇宙創造の意味が割り出せない理法になっていす。

この回答は、私の神観から言わせてもらえば、そもそも神の宇宙創造時には神の意図が介在していなかったと言う事ですから、21回にも及んだ破壊と創造を繰り返した理由付けは要りません。ただ、この21数もしくは22数の持つ法則的数霊の意味合いに何かが隠されているのではないかと個人的に思っている処です。タロットカードは、21枚、もしくは22枚で終わっています。

あるいは誤解を恐れず表現すれば、古代エジプト発のウロポロスを思い出してください。蛇が自分の尻尾をくわえています。この形態が意味する処は、宇宙とは始めも終わりもない円環システムである事を物語っています。

だから、宇宙円環システムの中で生きる人間の人生を意味付けるとしたら、その目的は、人間が内に秘めた内在神と二人三脚で物事を経験し体験し尽くす、そして内面を成長させ、完成していく事が目的ですから、その人間と神が完成した暁には、人間は神の実体になるという理屈です。しかしこの円環システムのパターンも、日月神事やグノーシスナグハマディ救済神話論の中身に触れると22回目の今回で終焉する事になるかも知れないと感じています。神がもうこれ以上、人類を媒体にして成長して行く必要は無くなったという事でしょうか?この内容はこの後ブログアップします。

甘えん坊さんの最も納得のいかない点は、ゼロ神が体験を重ねて人間と共に完成するのは神の勝手だが、神が完成する為に、その背後で歴史的に途方もない多くの人間の不幸も作り出して来た。ふざけるな神と宇宙法則よ!!この落し前はどうしてくれるんだ。という事になるかも知れませんが、解答は色々あると思いますが、明言は避けたいと思います。

 

ところで、私が掴んだ中道空間哲学について

例によって、緑色の抜粋記事をまた紹介させてもらいますが、我々がこの飯田史彦氏が経験した悟りの境地に到達する為の思考メソッドがあります。それは宇宙システムの中での人生体験の意味とは、内的成長を成し遂げ人間完成に至ること。そしてもう一つが、魂魄思想を理解する事にあります。つまりこの二つを理解する事で、自分を執り囲む内外不利な事象に対して3数的位置に立てる。そして物事を俯瞰できる。選択肢を誤らない。これが私の言う中道空間哲学の利です。

 

  中道空間哲学補足のリンク

    

    ↓

 

2数を超えた3数的立ち位置は全体の核心を掴める 

 

このように内外共に不利な事態を逆転できる思考メソッドが、中道空間哲学だと私は捉えています。これは魂魄思想と宇宙システムの意味を知ることで真の中道空間哲学に連結されます。

以下は抜粋記事

 

これは福島大学教授の飯田史彦氏の脳内出血で「臨死体験」を通して見た霊界の様子です。正直に申し上げると、物質世界で飯田史彦として生活している時には、自分を攻撃する人々にまで感謝するというのは、大変難しい事だと感じていました。しかし、魂の姿に戻った私は、何の努力も必要もなく、ごく自然に、当たり前のようにして、自分を攻撃する人々にまで感謝することが出来たのです。なぜなら、魂の姿に戻ると、完全にトランスパーソナル(意識が個人を超えた)状態になるため、それぞれの人々が、なぜ自分を攻撃するのかという事情やしくみが、手に取るように分かるからです。すると、私はまるで自分がまぶしい光を発しながら大爆発して、一瞬のうちに、宇宙全体にまで広がって行くかのような、奇妙な感覚に襲われました。そして同時に、全く違う次元(魂の世界の一つ)へと、自分がつながって行くのが分かったのです。

 抜粋おわり