2数を超えた3数的立ち位置は全体の核心を掴める | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

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2031年アセンションに向けて万全の準備ができたぞ

可視世界は縁起の法則で成立している。なぜなら摂理と宿命は同一のものだからだ。だから理想のゴールが究極的で壮大であれば有るほどに、多くの時間を要し、プロセスは複雑な路程となり、その環境が整うまでひたすら忍耐し、その時を待つという姿勢が求められる。

思考におけるテクニック的な内容をここで言っているのではないです。不可視世界の縁起の法則を真に理解する事で、統一関係者は2数的立ち位置から3数的立ち位置へという高い次元を獲得できる。なぜなら3数は2数の意味を含んでいるからだ。そしてこれを理解すれば、例え事が鳴かず飛ばずで進展が見られなかったとしても、あるいはマイナスの事象が自分を襲ったとしても、全てが意味あるものとして受け止められる。だから、いちいちマイナス的な事柄を嘆いたり、怒ったりというような無駄なエネルギーを消耗するような反応はしない。

そして3数的立ち位置は静観して時を待つと言う姿勢が自ずと生まれて来る。この時を待つと言う姿勢は、決して無力でも行動力が無い訳でもない。内面にエネルギーが充満している状態だ。時が来れば弾けるのだ。風の人だ!!

 

2数とは、一つの円を真っ二つに区分する事によって、二つの存在から成立する一つの円(世界)をつくります。二律背反です。ですから2数の世界に身を置きますと、人は必ずどちらかの一方に属する事になります。

統一原理を基とする統一運動の摂理的立ち位置は必然的に2数の世界に身を置く事になります。なぜなら神側VSサタン側ということですから。したがって今も多くの関係者はこれを引きづってますから、神側の韓国・米国・日本VSサタン側の北朝鮮・ロシア・中国の構図が潜在意識にあり、その視点で復帰原理から成る世界情勢や世界の政治経済を見たり分析したりします。統一原理が一つの円として完璧であればこれで問題ありませんが、完璧ではないので核心的な事柄を見落とすケースが出て来ます。

それに加えて、摂理的に2数的立場の土俵に居る統一関係者のほとんどは、自分を主体にして、自分に関わるありとあらゆる事象を2数的な観点で捉えますから、家連幹部達の腐敗を対象とし否定的になります。そして自分に振りかかる否定的な現象に対しても、これまた否定的対立の立ち位置をとります。

 

そもそもグノーシスを学ぶと「完璧」とは、はじめの段階からは有得ない事が分かります。神々も、はじめは完璧ではなく、不完全な状態にあり、そこから理想を追って行き、全体がそれに伴いながら成長していくと言うニュアンスがグノーシスナグハマディ文書から汲み取れますので、統一関係者は統一原理という教義と統一運動を基とする神の摂理を始めから完成されたものとして受け取るべきではない。神の摂理は時代の交替期に形態を変えて進化していくものと考えた方が良い。

統一原理を基とする統一運動が二律背反なる2数的摂理とするならば、グノーシスは明らかに善悪を超えた視点である処の3数的摂理である。

3数的視点に立った鶴さんの御言

 

>人間に悲しみがあるからこそ、喜びが存在する。人間に不幸があるからこそ、幸福が存在する。