唇が跡形もなく溶け消えてしまって、
歯と歯茎が丸見えになっている男は、
溶けてしまった唇さえあれば恐らく、
なかなかの美形だったに違いない。

それにしてもよく喋る。
唇が溶けて無いせいで、
酷く聞き取りずらいけれど、
のべつ幕なし飽きもせずよく喋る。

アタシは彼の言葉が上手く聞き取れず、
何度か聞き直しながら苦労してやっと、
彼が言わんとしている事柄を正確に、
頭の中で完成させようとしているのだが、
上手く通じない事に苛立っている様で、
しきりに声を荒げてはいるが余計、
聞き取ることが困難になり理解出来ない。

込み上げた激情を名乗る真意の言葉は、
喉元にきつく縫い止められたまま、
飲み下すことも吐き出すことも叶わず
いつか冷えきった塊になり変わり、
その熱すらもう忘れるのだろう。


新曲の譜面が手元に在る。
それを膝の上に乗っけたまま、
少し転寝をしていたらしかった。

何処からかリィダーがやってきて、
鶏のパペットと未来について語り合うと、

「よし!ベジタリアンになろ。」
と言ってから五分も経たないうちだ。
HEAVEN ELEVENのヤキトリ串を、
平然と口に運ぶ様を見て思った。

「嘘ぶっこいてんじゃねーよ‥」
そのクセ楽しげな気分も否定できない。

気付けば空き地の真ん中に破棄された、
汚れの酷い真っ赤なソファーの上で、
雨が降る匂いがして、猫が顔を洗うから、
間違いじゃないことに気付いてしまった。

「きっと朝まで家に入れてもらえない」
と、その猫は悲しげな顔をして訴える。
耳と尻尾とを情けなく垂らすもんだから、
一緒に、猫の主人のもとへ謝りに行くと、
新聞の勧誘を断わるが如く、冷たい口調で、

「間に合ってます。」

……。

もう猫は何も喋らなくなった。
淋しげな空気を誤魔化すように、
ひたすら毛づくろいに没頭していた。
無理もなかろう、と思って慰めようにも、
かける言葉が見当たらなかった。

雨が降りだした。
やっぱり猫は何も言わなかった。
黙りこくったまま擦り寄って来て、
ぉずぉずとアタシの膝の上に座り込むと、
寒そうに、小さく震えながら目を閉じて、
折り目のついた、一枚の紙切れになった。


汚れた水が排水口へ流れ込む。
そのとき排水口は何を思うだろう。

この「水」自体には意識があり、
この「水」自体には意識がない。

一人でもなく、大勢とゆうわけでもない。
何処からが誰で、何処からが己なのか。
そもそもこの意識は誰のものだろう。
解決しがたい疑問はいくつもあるが、
次の循環では、海になろうと決めている。

朝降りだした雪は、
夜にはもう雨の跡と区別すらつかない。

アスファルトを濡らしただけで、
跡形もなく溶けてしまった。
横浜の雪は、金沢に降る雪より、
儚いものなのだろうと思って、
金沢の半端なく獰猛な雪を思い出し、
雪を「儚い」と最初に比喩した人間は、
きっと都会の人間だったに違いない、
じゃなければ雪の少ない南国育ちだろう。

そんなことを考えながら、
何気なくくわえた煙草と一緒に、
ライターの火が睫毛を焦がした。


この世界には、

100%存在するモノも、
100%存在しないモノも、無い。