先日、私がドッグトレーニングや犬について学んだ母校プレイボゥドックトレーナーズアカデミー → →コチラ)の第20期生の修了式で修了生の皆様を前に先輩代表の1人としてスピーチをする機会がありました。
昨年の同時期には、私自身が修了生として先輩トレーナーのスピーチを聞いていたわけですから、なんだか不思議な気分になりました。
修了式の後、修了生の皆様と歓談する機会があったのですが、何時間もずっと犬やドッグトレーニングの話をしていました。
これからドッグトレーナーとして独立開業を目指す皆様のキラキラとしたエネルギーに触れて何やら私までパワーアップした気分です。
20期生の皆様、修了おめでとうございますっ!
皆様のご活躍を心より願っています。
◆本文
前回の記事の続きです。
犬・狼共通の祖先(以降「祖先犬」)との人間の出会いに関する私の「妄想タイムトラベル」による私の自説の1つとなりますのでSFだと思って読んで頂ければと思います。
一部を除き、ほとんどの犬に関する本では、「人が祖先犬を飼い慣らした」という前提で話が進んでいきます。
理由はわからないのですが、なぜだかこれには昔から違和感を感じていました。
前回記事の小型ハクジラ類(イルカ等)と漁師の関係「お互いの利害が一致して一緒に捕食行動をする」をモデルとして人間と祖先犬の出会いを考察してゆくと、「共生関係が先行していた」という仮説が得られます。
「飼い慣らし」が先であれば、最初から主導権は人間にあります。
飼い慣らした後に、祖先犬の様々な能力を利用して狩猟を効率よくおこなうようになったという順序になり、これがいわゆる「家畜化」です。
「共生関係」が先であれば、その関係は最初の時点で「対等」、そしてその「共生関係の核となるのは、そな接点であった狩猟である」と位置付けることが出来ます。
つまり狩猟という接点においてのみ協力しあうことを繰り返すことで各々の社会的構造が変化してゆき(人間は祖先犬に会わせて変化し、犬祖先は人間に会わせて変化した)、徐々にその異種間の距離を縮め最終的に群れ同士が重なってゆくという過程があり、その過程で人間と祖先犬が創った「全く新しいタイプ」の社会が出現したと推測することも出来るのです。
この推測が正しければその全く新しいタイプの社会は現在の人類に引き継がれているということになります。
オーストラリアの先住民であるアボリジニのことわざに「犬のおかげで人間になれた」というものがありますが、これは「全く正しいのではないか?」と最近は考えています。
仮称)共生関係先行説のポイントを要約すると
・狩をすることで共生関係を築いた。
・共生関係は飼い慣らしに先行した。
・緩やかで対等な共生関係により互いに社会構造を変化させた。
・共生関係は強制されたものではない。
よく言われる「定住化した人間が集落の周辺でゴミ漁りをしていた“狼”を飼い慣らした“通称ゴミ漁り説”」を前提とした場合とはその起源が全く異なることになります。
続きます
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