天正13年(1585)の豊臣秀吉による四国攻めのとき、毛利輝元の命を受けた小早川隆景と吉川元長らが3万とも4万ともいう大軍で安芸から伊予に侵攻し、秀吉軍の一員として長宗我部攻撃に出たことは知られています。そのとき、小早川軍が上陸したところが新間というところで、それが現在の新居浜であることもわかっています。
ところが、いろいろ調べても、新居浜のどのあたりなのかを書いたものがなく、前々から、機会があれば現地を歩いて調べたいと思っていました。幸い、先日、新居浜市で講演がありましたので、時間を作って上陸地点を探しました。現在、海岸部は住友系企業のコンビナートになっていて、昔の面影は全くありません。ところが、その少し西の方に数隻の漁船が繋留されている場所がありました。そこは埋め立て地のようだったので、中の方に入ったところ、立派な松と一つの石碑があり、江戸時代、別子鉱山で掘り出された銅を大坂に運ぶための港の跡だということがわかりました。
江戸時代に港があったのなら、戦国時代もその辺が港だったのかなと考えました。隆景が攻めた金子山城もすぐ近くなので、上陸地点の候補地の一つになると思います。
新居浜市は人口12万弱で愛媛県では3番目の都市ですので、造り酒屋もあると思いますが、時間がなく見つけられず、駅の売店で、近くの四国中央市にある梅錦山川(株)の「栄照梅錦」を買入し、瀬戸内の夕景色を肴に帰路につきました。