ここのところサミットづいていますが、舞鶴に行ってきました。江戸時代の教育はもちろん専門外で、藩校における教育というよりは、戦国武将の子弟の教育と、江戸時代の藩士の教育のちがいを主に話してきました。舞鶴の田辺藩牧野氏は三河牛久保の牧野氏なので、今川家臣から徳川家臣となった牧野氏の歴史にもふれました。

前日入りし、私が監修した『明智光秀と丹波福知山』(福知山市発行)で、地元の岡部一稔氏がコラム「神様に祀られた明智光秀」の中で取りあげていた舞鶴市中山の明智神社(八幡神社)にお参りし、写真を撮ってきました。また、高田徹氏からの情報で、田辺城本丸南側の石垣が発掘調査されているのを知り、その発掘現場も見ることができました。

舞鶴市はJRの駅で西舞鶴駅の周辺と、東舞鶴駅の周辺の2ヵ所に分かれていますが、田辺城のあるのが西舞鶴の方なので、西舞鶴駅の近くのホテルに泊まりました。西舞鶴には漁港があり、入った店で、獲れたての魚を出してもらいました。太平洋沿岸とはちがう魚の刺身を堪能しました。

お酒は宮津市由良のハクレイ酒造(株)の「香田(こうでん)」と「真名井(まない)」がおいしかったです。

第25回全国山城サミット安来大会が開催され、「月山富田城の魅力と楽しみ方」と題して講演し、そのあとのパネルディスカッション「山城の魅力と楽しみ方」にもパネラーとして参加してきました。

前日に第7回尼子一族全国大集会・戦国尼子フェスティバルが開かれたこともあって多くの人が参加し、盛りあがった大会になりました。準備にあたられた安来市の関係者にお礼申し上げます。

次の日、かねてから訪ねてみたいと思っていた月山富田城の支城の内、三沢城と三刀屋城に登ってきました。いわゆる「尼子十旗」の三沢為清と三刀屋久扶の居城です。この2人が天文11年(1542)から翌年にかけての第1次月山富田城の戦いで、途中で尼子方に寝返ったため、攻める大内義隆側が負ける結果となりました。

現地に行って、三沢が「みさわ」ではなく「みざわ」であることをはじめて知りました。また、国衆クラスの城下町の形態がよく残っているのにびっくりしました。

三刀屋城は時間の関係で本丸・二の丸の範囲しか見ることはできませんでしたが、中井均氏作成の縄張図だとかなり広く、登り石垣があるようなので、また、いつか機会があれば奥の方まで行ってみたいと思いました。

 

吉田酒造(株)の「月山」の大吟醸は冷酒で、本醸造の「月山」は熱燗でいただきました。また、三沢城と三刀屋城の途中の道の駅で食べた出雲割子そばもおいしかったです。