明智光秀に関連がある14の県と市による「明智光秀AI協議会」が発足し、16日、その共同発表会が衆議院第1議員会館で開かれました。年末近くの忙しい時期に、何と14自治体のうちの半数の7人、市長自らが出席し、残りの7自治体は代理の方でしたが、それぞれの自治体が力を入れてると感じました。
私は、全体の監修という立場で加わっていて、当日も簡単な講演をさせていただきました。来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、私は7回目の時代考証になりますが、このような関係する自治体の連携は初めてで、新しい動きだと思います。
なお、QRコードを添付しておきます。関心のある方はアクセスしてみてください。




SBS学苑の1日研修旅行で、明智光秀出生地の有力候補とされている可児市瀬田の明智城と、恵那市明智町の明知城の出城落合砦に行ってきました。

光秀の出生地については、現在のところ岐阜県内に4ヵ所、滋賀県内に1ヵ所の説があります。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放送がはじまると、さらにふえるかもしれません。

可児市の明智城の方は、そこがかつて明智荘があったところなので、可能性は一番高いと私は思っています。ただ、城郭研究者の間では、「ほとんど自然地形で、城だったかは疑問」と、疑問視されています。入口にあたる通称「大手曲輪」はそれなりの構えで、山城の部分にも削平地が認められるので、詰の城としての機能はあったと思われます。麓の天龍寺まではじめて光秀の位牌を拝ませていただけました。

恵那市明智町の落合砦には「光秀産湯の井戸」というものがあります。そうした伝承がいつごろから生まれたのか興味あるところです。光秀の叔父にあたる明智光安(法名宗宿)に関する伝承も明智町にはありますので、土岐明智と遠山明智の接点が何らかの形であったかもしれません。今後の検討課題です。

徳島で講演の仕事があり、前泊をし、阿波守護細川氏の勝瑞館跡に行ってきました。発掘調査中は何度か足を運びましたが、国史跡に指定されてからは訪ねていなかったのものですから、整備の状況を見に行ってきました。

指定地は58,799.4㎡と実に広大で、そのほとんどが公有化されていて、これから、どのように整備されていくかが楽しみです。越前一乗谷の朝倉館跡のようになればと思っています。

なお、発掘調査のときの出土品は、館跡内に建てられている勝瑞発掘現場事務所に展示されていて、そこに、「続日本100名城」のスタンプも置いてあります。JR勝瑞駅に館跡までの道順を書いた略地図も置かれていました。これも以前はなかったものです。

たまたま入ったお店のメニューに「鳴門鯛の食べくらべ」というのがあり、刺身・炙り・湯引きを食べくらべるというもので、早速注文しました。刺身のほか、鯛の炙ったのは食べたことがありましたが、湯引きというのは初めてで、徳島県三好市の芳水酒造(有)の「芳水」とおいしくいただきました。