先日、東京の公益財団法人北野生涯教育振興会 の第123回研修会として歴史研修の場がもたれ、同行講師として弘前城・根城・九戸城を案内してきました。この時期を選んだのは、弘前城の桜も見てもらおうと企画したのですが、桜はほとんどつぼみの状態で残念でした。しかし、広大な弘前城全域を解説できてよかったと思います。

泊まったのは蔦温泉 という八甲田山近くの山の中の一軒宿で、『山中鹿之助』(正しくは鹿介)を書いたことで有名な大町桂月が愛した温泉として知っていましたので、いくつか候補があった中で、そこにしてもらいました。いい温泉でした。

根城は中世城館の本曲輪部分を発掘調査の成果に基づいて何棟か復元されていますので、これは戦国の城をイメージするのに一番いいと思い、コースに入れました。そこの桜(南部氏の本拠甲斐の南部から移植したという)が咲いていたので、弘前の仇を少しとった気分になりました。

最後が九戸城で、九戸政実の乱の舞台となった城です。これまではあまり時間がなく、本丸・二の丸だけで帰ってしまったのですが、今回は少し時間を多めにとり、周囲の松の丸・若狭館まで見てきました。

2015年が徳川家康の400回忌になるため、このほど徳川家康の魅力と徳川時代の知恵や歴史的意義を全国に発信しようと「徳川みらい学会」 が設立され、昨日(4月18日)、その設立総会と第1回の講演会が開かれました。

会は、静岡県立美術館の芳賀徹館長を会長に、私も理事として加わることになりました。今後、講演会を隔月に行うことが決まり、私は8月20日(火)14時半から静岡市民文化会館中ホールで、「家康を天下人にした教育と学問」と題して講演する予定です。

行政主導ではなく、静岡・浜松・岡崎の各商工会議所が中心となり、地元経済界を巻きこんだ取りくみで、現在、法人会員130、個人会員500名とのことです。

毎日新聞旅行 の企画で、旧暦を新暦に置き換え、実際にその日に古戦場を訪ねてきました。これまで、三方ヶ原の戦い、桶狭間の戦い、川中島の戦いとやってきて、今回は天正10年(1582)3月11日、武田勝頼が織田軍に追いつめられ、自刃をした田野に行ってきました。

これまで、武田家滅亡の戦いは長いこと、天目山の戦いといいならわされてきました。私は、天目山では戦いがなく、麓の田野の戦いというのが正しいと、ずっといい続けてきました。

ようやく、戦国合戦に関する本でも、田野の戦いが一般的になってきました。その田野の戦いは旧暦3月11日で、新暦にすると4月13日になり、13日に田野に行ってきました。自刃した場所に、のち景徳院という寺が建てられています。

景徳院の横を日川が流れ、日川渓谷といわれていますが、景徳院から少し北上したところに「土屋惣蔵片手斬り」の碑があり、そこまで案内してきました。最大2万5000人いたという武田家臣団も、田野の戦いのときにはわずか50人ほどに減っていて、最後まで従っていたいわゆる「武田二十四将」クラスは土屋惣蔵昌恒一人でした。彼が藤づるを片手で握り、追いすがる織田軍を片手で斬ったという伝承のある場所です。