私が会長をつとめている武田氏研究会のシンポジウムが笛吹市の帝京大学文化財研究所で開かれ、行ってきました。今回の企画は平山優、丸島和洋両氏が中心になって準備を進めてきたもので、下記の4本の報告があり、そのあと、パネルディスカッションを行いました。
小笠原春香「武田氏の外交・戦争と境目領域―遠江高天神城を中心に―」
小川 雄「武田氏駿遠領国化と海賊衆」
小佐野浅子「武田氏の駿河領国化と富士信仰」
長谷川幸一「武田領国における修験―当山方修験を中心に―」
報告者はいずれも30代前半の若手研究者で、どれも興味深い内容でした。特に、駿河・遠江の武田氏支配のあり方については勉強になりました。印象的なものを一つだけあげておきます。
小笠原報告の高天神城の攻防戦は私も以前、『高天神城の総合的研究』という形でまとめていましたが、その中で、私は『信長公記』に書かれている内容、すなわち、「小笠原与八郎が惣領を追い出した」というのは、信長側がまちがった情報を得ていたのではないかと書いたのですが、小笠原春香氏は、与八郎と対立し、城から出ていった親族衆がいたのではないかと指摘していました。
そのあとのパネルディスカッションで、これが話題となり、『信長公記』の著者太田牛一が書いた時点では、城から出ていった人物の方が、その後、家康に取り立てられたので、牛一は、そのような書き方をしたのではないかという結論になりました。『信長公記』の読み方というか、史料批判に一つの示唆をもらった思いです。