愛知県豊田市の四郷地区に、江戸時代から続く珍しい棒の手が伝わり、いま、愛知県無形民俗文化財に指定されています。その「四郷地区棒の手驚固祭り」が毎年10月第2日曜日に四郷町東畑の四郷八柱神社で開かれ、今年は10月13日に開催されました。

この日、豊田市四郷地区棒の手保存会の柴田和則会長の依頼を受け、演技のはじまる前、「棒の手の発祥とその背景」という講演をしました。豊臣秀吉の刀狩によって武器を取り上げられた農民たちが、自衛の手段として棒を使った武芸を発展させたということと、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いにおける徳川軍の百姓大量動員体制がかかわっていることを中心にお話しました。

写真やビデオではみていましたが、実際の演技をみるのははじめてで、迫力がありました。棒が武器になることは「武芸十八番」に棒術というのがあるので、観念的には知っていましたが、実際、目の前で棒と棒、あるいは棒と木刀で闘っている様子をみて、武芸としての認識を強くしました。

この日、私は特等席で、しかも柴田会長の解説付きで演技をみることができました。最年少の3歳の子の演技もほほえましく、こうして伝統は守られていくのかと思いましたし、演技のあと、投げ銭があったりして、それを一生懸命拾う小学生の女の子の姿もかわいかったです。

なお、その場で出されたお神酒は、地元の菊石 浦野合資会社 の「菊石」というお酒で、おいしかったです。

10月6日、朝から姫路での講演のため、姫路に前日入りし、これまで行ったことのなかった加古川市の志方城跡に行ってきました。宝殿駅で降りて、バスの時刻表をみるとちょうどいいのがなく、タクシーで城跡に建つ観音寺に向かいました。

観音寺の前住職村上博生さんが、「志方光姫の会」の会長さんで、志方城跡の保存と光姫の顕彰に熱心だということは知っておりましたのでお会いしたいと思っていたのですが、台風の進路によっては行くのをあきらめざるをえないと考え、事前の連絡はしてありませんでした。

突然の訪問にもかかわらず庫裡にあげていただき、貴重な「櫛橋之記」系図などもみせてもらい、いろいろと話をお聞きすることができました。

そのあと、『日本城郭大系』に載っていた推定復元図のコピーをもって城域を調査してまわり、志方城のイメージを頭に入れて帰りました。

このブログでもすでに何度かお伝えしていますが、現在、岐阜市教育委員会が信長居館跡を発掘調査しています。これまでにも、当時の石垣が出土したり、庭園遺構が姿をあらわすなど大きな成果がありましたが、今年の夏は、岩盤の前の樹木を伐り払い、岩盤がよくみえるようになり、庭園の池との関係がよくわかるようになりました。

庭園に付属する建物なのか、礎石もいくつかみつかっていますので、今後の調査の進展が楽しみです。発掘調査の様子は自由に見ることができます。

それと、以前、発掘調査でみつかり、全国紙の新聞記事にもなりました金箔瓦ですが、その実物と、「日本いぶし瓦株式会社」の協力によってできあがった復元瓦が、いま、岐阜市歴史博物館 に展示されています。出土した状態は部分だったので、全体の大きさがわからなかったのですが、復元してみると意外と一つひとつが大きいのにびっくりしました。