先日、大分県日出町の「ひじ文化まつり」の特別講演会を依頼され、行ってきました。全国的にも珍しい鬼門櫓の解体修理が終わったとのことで、前日入りし、完成した櫓を見てきました。

今から10年ほど前、江戸時代から残っていた鬼門櫓が民間の手に渡り、城とは別なところに移築され、しかも、「ボロボロでいつ倒壊してしまうかわからない」との情報が入ったので、見に行ったことがあります。いわれた通り、ボロボロで、見る影もない状態でした。それが、幸い、町に寄贈され、解体修理を施し、城内にもどったというわけです。

その夜は、「城下カレイ」を肴に地酒「的山」を呑みました。もっとも、「城下カレイ」は高価ですので、お刺身はたった5切でしたが…。地酒「的山」を一口呑んだとき、「これ西の関ですか」と聞いてしまいました。実は、「的山」を醸造していた地元日出の造り酒屋が廃業し、西の関を造っているところで、「的山」の名前で出しているとのことでした。

講演後、町の職員に大分空港まで送ってもらったのですが、少し時間に余裕があったので、国東市まで足を伸ばしてもらい、石垣原の戦いのときに官兵衛が攻めた富来城址を見てきました。安岐城よりよく残っていて、本丸の堀はしっかり残っていました。

小田原城の御用米曲輪の発掘調査が進められておりますが、今年はびっくりするような遺構が出土しました。昨日(10月29日)、発掘現場を視察しましたが、「え、なにこれ!」という感じでした。

後北条氏の最後の段階、天正期の庭園の池の一部が姿をあらわし、池の護岸に、五輪塔・宝篋印塔・宝塔といった石造物が使われているのです。発掘担当者の説明だと、その数は少なくとも2000個以上。しかも、五輪塔の地輪(一番下の正方形の石)を二つに割ったりして加工しているとのことです。その石造物の石をタイルのようにきれいに並べて積んでいまして、このような池の護岸はこれまでみたことがありません。

 その池を見おろす形で掘立柱の穴が出てきていて、同じ地表面からは礎石建ちの建物もみつかっていますので、もしかしたら、茶室のような建物があり、そこから石造物護岸をみていたのかもしれません。それにしても異様な光景です。発掘調査はまだ来年3月まで続けられますので、この先、どのようなものが出てくるか楽しみです。なお、11月23日(土・祝)と12月21日(土)の2回、現地説明会が開かれる予定ですので、興味のある方は一度、足を運んでみてください。

毎年この時期に行われている関ケ原町主催の関ケ原合戦祭り が今年も行われ、今年のメインは、徳川宗家第18代当主の恒孝氏をお招きしてのスペシャルトークということで、私が聞き手になって、いろいろと話をお聞きしました。

関ケ原には前日入りし、御当主ご夫妻に関ケ原古戦場をみてもらおうと、町役場の担当者と私とで、桃配山、陣馬野、笹尾山などをご案内しました。戦国時代の研究をしていて、まさか徳川宗家の当主に関ケ原を案内するとは思ってもみませんでした。歴代将軍で、関ケ原戦跡めぐりをしたという人がいたということは聞いていないので、もしかしたら、413年ぶりのことかもしれません。

スペシャルトークの当日は、朝、大垣のホテルから関ケ原に向かったのですが、前夜来の雨があがり、霧が少しずつ晴れて、「慶長5年9月15日もかくや」と幻想的な光景にぶつかりました。これまで、関ケ原は何度も訪れていますが、開戦時の霧の様子をみたのははじめてで感動しました。ちなみに、旧暦の慶長5年9月15日は新暦の10月21日で、まさにこの時期です。