先日、富山県の砺波市で講演があり、以前から行きたいと思っていた国史跡の増山城に行ってきました。講演を聴講されていた夏野市長からは、「いまチューリップが見ごろで、チューリップまつりをやっているので、是非」と誘われたのですが、「花より城だ」と、タクシーで増山城に向かいました。

登り口に「クマ出没注意」の立て札があり、心配になりながらも登りはじめたのですが、本当に熊が出てきそうな雰囲気で、一人で登るのは危険だと思い、途中で引き返してしまいました。

時間ができたので、少し足をのばし、富山から電車に乗って魚津まで行き、久しぶりに魚津城に行ってきました。駅前の観光案内所に寄ったところ、天明5年の「越中魚津町惣絵図」をコピーしてくれて、それを持って、以前訪ねたときには見落としていた部分や城下を歩くことができました。

富山では地酒の「立山」(立山酒造株式会社 )がお気に入りで、この日も「立山」を堪能しました。

先日、岡山県井原市の荏原地区まちづくり協議会主催の歴史講演会があり、「北条早雲荏原(井原市)出身が定説となるまで」と題して講演をしてきました。

北条早雲(伊勢宗瑞)の出身地については、古く、山城宇治説、大和在原説が唱えられ、その後、勝山小笠原文書が発見され、明治~大正の頃はもっぱら伊勢素浪人説が主流でした。いかにも、「腕一つでのしあがった戦国大名」のイメージが定着した感じです。

戦後、京都伊勢氏説が出され、さらに、藤井駿・立木望隆両氏によって備中伊勢氏説が浮上してきました。その頃、後北条氏研究に参入した私は、荏原を何度も調査に訪れ、法泉寺の古文書などをみせてもらい、備中荏原出身の伊勢新九郎盛時と北条早雲(伊勢宗瑞)が同一人であると発表しました。講演では、その後の研究者による研究にもふれ、現在は備中出身説が定説となってきていることをお話ししました。

現在、井原市には造り酒屋が1軒あり、その山成酒造 の「朗廬の里」というのを呑ませてもらいました。珍しいネーミングなので、その由来を聞くと、地元の興譲館の初代館長阪谷朗廬の名前をとったとのことでした。すっきりした味でした。

その日は泊まって、翌日、久しぶりに高越城址・法泉寺などをみて帰ってきました。行った先々で地元の方々のお出迎えをうけたのにはびっくりしましたが…。

昨日、表記の大会が静岡市の静岡市民文化会館大ホールで開かれました。全国から家臣団のご子孫および徳川みらい学会の会員が集まり、満席でした。これは、「徳川家康公顕彰四百年記念プレ事業」 の一つとして取り組まれたものです。

私は基調講演として、「徳川家臣団の固い絆―家康を支えた部将たち―」と題して講演し、家康の人材観について、いくつかのエピソードを紹介しながら話をしました。

夜の交流会は徳川慶喜ゆかりの浮月楼で開かれましたが、家康の家臣だった方々のご子孫が多く出席され、楽しい時間をすごしました。一人ひとりお名前をあげるのは控えさせてもらいますが、徳川家臣団のご子孫の方が多く出席され、名刺交換38名に及びました。これは、私自身としても、1日で名刺交換をした新記録ですが、これから、史料発掘など期待できる名刺交換で、非常に有意義な会でした。浮月楼のご配慮で、「磯自慢」を呑めたのはうれしかったです。