神奈川県足柄上郡山北町の山北町地方史研究会主催の文化講演会によばれ、「戦国時代の河村城とその周辺」という演題で講演をしてきました。
河村城は学生時代に一度訪れただけで、その後、行っていなかったので、当日、午前中、それこそ、ほぼ50年ぶりに登ってきました。当時はまだ全然整備されておらず、藪の中を登り、本城郭のあたりも樹木が繁っていて、二つの堀を確認できる程度でした。
ところが、発掘調査が行われ、その成果に基づいた整備が行われていて、見違えるようでした。当時は、ただ「堀が残っているな」という程度でしか見ていなかったのですが、発掘の結果、障子堀が出たということで、その障子堀も見ることができる状態になっていました。
発掘を担当された安藤文一さんに案内していただいたのですが、本城郭の北側にある小郭の土塁は、積んだものではなく、削り残しだったなどという耳より情報も聞くことができました。
講演終了後、山北町地方史研究会のメンバーとの懇親会では、山北町の地酒、川西屋酒造店の「丹沢山」を呑ませていただきました。
那覇で講演の仕事があり、せっかくなので、前泊、後泊し、沖縄の城めぐりをしてきました。時間の都合もあり、今帰仁城までは行けませんでしたが、首里城は10年ぶりくらい、中城城・座喜味城・勝連城は30年ぶりくらいで、今回はじめて浦添城にも行ってきました。
勝連城に初めて行ったときは、タクシーの運転手さんに、「草むらにはハブがいるから注意してください」といわれ、誰もいないところを恐る恐る上に登って行きましたが、今回は、かなり整備され、ハブがいそうなところはなく、また、多くの観光客でにぎわっていました。世界遺産効果でしょうか。
今回、座喜味・勝連・浦添の3城は観光タクシーを使って歩いてきました。世界遺産ではない浦添城では草むらがあり、「ハブに注意」の札がありました。一人では怖いので、運転手さんに同行してもらいました。地元の方で、「ここでハブを見たことないよ」と、どんどん奥に案内してくれたので、まわりを警戒しつつ城内を見てまわることができました。

沖縄では、さすが、入ったどの店も日本酒は置いてなく、やはり琉球料理には泡盛だと、2日とも店をかえ、初日は「残波」、2日目は「久米仙」を呑み、「じーまみーどうふ」と「ひらやーちー」という料理などを楽しみました。

バスを待つ時間、那覇市歴史博物館に立ち寄ったところ、「墓中符」というのが展示されていて、例の急急如律令符の一種なのですが、「律令」の文字と、その下に「宮商角徴羽」の5文字が目に入り、思わず立ちどまってしまいました。この5文字は、『甲陽軍鑑』に「山本勘助入道道鬼ぐんばいハ、宮・商・角・徴・羽の五つよりわけて見る」とあるのと全く同じです。何なのか、研究してみたいと思います。

首里城の売店で首里城の正殿を描いたネクタイが売られていたので買入しました。いつか、そのネクタイでテレビに出たいと思っています。
先日、近江八幡市の市制施行5周年記念事業が挙行され、その記念講演に招かれ、行ってきました。旧近江八幡市と旧安土町が合併し、新しい近江八幡市がスタートし、5年となります。
講演では、近江八幡市に所在する観音寺城・安土城と近江八幡城の話を中心に、従来、「殺生関白」などといった書かれ方をされてきた豊臣秀次について、その復権をはかろうという内容でした。
前日、近江八幡入りをし、「最近、昔の景観が失われつつある」という声を耳にしていたので、久しぶりに時間をかけて安土城下を歩いてきました。沙沙貴神社から浄厳院にかけて、JR琵琶湖線の線路の南側はあまり大きな変化が感じられませんでしたが、北側は、たしかに変化していました。ただ、昔の道はそのまま残っていて、それとなく面影は残っていますが、狭く、車1台通るのがやっとといった道は、いつまでその景観が残るかわかりません。旧安土町時代、「安土町歴史文化基本構想」を策定し、できるだけ昔の景観を残したいとしており、私自身はその趣旨に賛成です。