雑誌『歴史人』の企画で、昨年4月に開館した京都市鷹峯の古田織部美術館において、宮下玄覇館長との対談をしてきました。鷹峯は、在職中、学生を連れて源光庵の「伏見城の血天井」を見に行って以来です。
まず、ちょうど3月14日から6月14日までの会期で開催されている「古田織部と大坂夏の陣」を観覧させていただきました。茶器類もさることながら、私の目をひいたのは、織部の自筆書状や、文英清韓の書があったことです。文英清韓は東福寺の住持で、あの方広寺鐘銘の銘文を書いた人です。織部と清韓は交遊関係のあったことが知られていますが、夏の陣後、織部が切腹させられていく過程をうかがう上で注目されます。ほかに、私自身、これまで目にしていない「大坂夏の陣布陣図」なども展示されていて見ごたえがありました。
そのあと、常設展示と、「十三窓席」の名で知られる小堀遠州好の茶室「擁翠亭」にご案内いただき、茶掛けの書に、武田信玄の朝比奈信置宛の書が飾られていて、宮下玄覇館長のもてなしの気持ちが伝わってきました。対談の様子は6月に発売予定の『歴史人』に載ります。
まず、ちょうど3月14日から6月14日までの会期で開催されている「古田織部と大坂夏の陣」を観覧させていただきました。茶器類もさることながら、私の目をひいたのは、織部の自筆書状や、文英清韓の書があったことです。文英清韓は東福寺の住持で、あの方広寺鐘銘の銘文を書いた人です。織部と清韓は交遊関係のあったことが知られていますが、夏の陣後、織部が切腹させられていく過程をうかがう上で注目されます。ほかに、私自身、これまで目にしていない「大坂夏の陣布陣図」なども展示されていて見ごたえがありました。
そのあと、常設展示と、「十三窓席」の名で知られる小堀遠州好の茶室「擁翠亭」にご案内いただき、茶掛けの書に、武田信玄の朝比奈信置宛の書が飾られていて、宮下玄覇館長のもてなしの気持ちが伝わってきました。対談の様子は6月に発売予定の『歴史人』に載ります。