先日、浜松市産業部観光・シティプロモーション課の企画で、作家の高殿円さんと対談をしてきました。高殿さんは『剣と紅―戦国の女領主・井伊直虎―』(文春文庫)の著者です。
私がざっと井伊直虎についての説明をしたあと、高殿さんからの質問に私が答える形で進行しました。事前に若干の打ち合わせはしていましたが、鋭い質問で、「そのあたり、あまり考えたことはなかったですネ」と言葉を濁す場面がいくつもありました。
たとえば、「井伊氏が支配していた領地の石高はどのくらい?」「その領地にはどのくらいの人が住んでいた?」などなど。ちなみに、石高については、遠江全体の太閤検地の石高が15万5000石なので、広さからみて、「3万石くらいかな」と答えましたが、自信はありません。人口は、桶狭間の戦いのとき、井伊直盛が200~250人を率いていたと思われるので、「1000人くらいかな」と答えておきました。
ふだん、厳密に考えていなかったあたりを衝かれ、私自身、勉強になる対談でした。
先日、上田で講演があり、日帰りだったので史跡めぐりはできず、昼に信州そばを食べただけでした。「真田丸」の放映で、上田駅周辺は多数の観光客でにぎわっていました。大河ドラマ館の館長さんとお会いしたのですが、先日、入館者が6万6666人に達したとのことでした。ここでも六文銭を意識しているのがおもしろいと思いました。
帰りにおみやげとして、上田市の沓掛酒造(株)の「福無量 真田三代」というお酒をいただき、新幹線の中で呑んで帰ってきました。おいしかったです。ただ、「真田幸村も絶賛した郷土の酒」とラベルに印刷されていましたが、これは、時代考証てきにいうとおかしい。同じラベルに「創業元禄年間」と書かれていました。この矛盾に気がつく人はどれくらいいるでしょうか。
NHK大河ドラマ「真田丸」の人気で、私は今年、時代考証はやっていませんが、真田関係の講演依頼も入ってきています。先日は宮城県白石市に行ってきました。
白石市の当信寺に信繁の5女阿梅と、2男大八(守信)のお墓がありますので、講演前にお墓参りをしてきました。なお、9女阿菖蒲のお墓があることは知らなかったのですが、市の教育委員会の人に教えられ、そこもお参りしました。
講演の中でも、大坂夏の陣のとき、信繁の軍勢と最前線で戦った伊達の軍勢の話をしましたが、その伊達軍の先鋒をつとめたのが片倉小十郎景綱の息子、同じ小十郎を名乗った重綱です。おそらく、信繁は、「この男なら」と、決戦のあと、子どもたちを重綱に託したのでしょう。ちなみに、2男大八は、その後、片倉久米介と名乗りますが、ほとぼりがさめたころ、真田姓にもどし、真田守信と名乗ります。これが仙台真田家となります。

なお、このところ、なかなかいい地酒にめぐりあう機会がなかったのですが、今回、白石市の蔵王酒造(株)の「蔵王」を手に入れることができました。