高知市で講演があったので、前日入りし、南国市の岡豊城に行ってきました。長宗我部氏の本城です。10年ほど前、「長宗我部盛親展」にあわせて講演があり、その時はあまり時間がなく、ざっと見て歩いただけだったので、今回は、たっぷり時間をかけて、隅から隅まで歩いてきました。

発掘調査に基づいて整備も進められ、遺構がよくわかるようになっていたのにびっくりしました。また、ちょうど草も枯れていて、竪堀の様子がよく見え、以前は気がつかなかった連続竪堀の状況も今回は確認できました。

 

高知は酒どころです。司牡丹・土佐鶴・酔鯨など好きなものがいっぱいあり、悩みますが、土佐鶴は静岡でも呑めるので、司牡丹を置いてある店に入りました。高知といえば、何といっても藁焼きのカツオのタタキです。これまで、出されたものしか食べていなかったので、炭火かガスで焼いているかもしれないと思っていたのですが、実際に目の前で藁で焼いていました。

 

伊予松山城にはいくつかの登城道があり、これまで、ロープウェイ・リフト横の登城道か二の丸庭園横の登城道を使うのが常でした。それは、古町口登城道の入口に「マムシ・スズメバチに注意」との看板があったからです。

今回、3月中旬で、朝の最低気温が3℃だったので、まだマムシは出ないだろうと、そのルートをはじめて登りました。重要文化財の一つ野原櫓を下から見上げることができ、これまでできなかった体験でした。

松山城には21もの重要文化財があります。それと30もの復興建造物があり、一目見ただけではどれが重要文化財か、再建されたものかわかりにくいのですが、案内板を確認しながら写真に撮りました。

 

その日入ったお店に松山の地酒はありませんでしたが、愛媛県の地酒「梅錦」(四国中央市の梅錦山川株式会社)がありました。初めて口にしました。

シンポジウムの対談は、相手が話している内容から研究上のヒントをもらうことがあります。先日の滋賀県立大学の公開講座「井伊直虎の城」はまさにそうでした。

講座名通りの演題で私が講演したあと、同大学の中井均教授との対談が計画されていたのですが、事前の打ち合わせで私は「彦根城の鐘の丸を取りあげましょう」と提案していました。それはどうしてかというと、彦根城の鐘の丸が、どことなく、駿河・遠江でよく見られる武田流築城術の一つ、丸馬出と同じではないかとかねがね考えていたからです。しかも、井伊家は、武田家臣をたくさん採用していますので、「何か関係があるのではないか」と漠然と考えていました。

そのような折、私も一部執筆しました『井伊家十四代と直虎』(彦根商工会議所編)で中井先生が「彦根城―築城の経緯と縄張り―」を執筆され、その中で、武田遺臣の早川弥惣左衛門が縄張りを担当していたことを紹介していたのです。「これは是非、対談に取りあげてもらおう」と提案し、当日は、鐘の丸=丸馬出説で盛りあがりました。

井伊直政は武田の「赤備え」を継承していたということで有名ですが、築城術まで継承していたことが論証され、収穫のあった対談でした。