シンポジウムの対談は、相手が話している内容から研究上のヒントをもらうことがあります。先日の滋賀県立大学の公開講座「井伊直虎の城」はまさにそうでした。

講座名通りの演題で私が講演したあと、同大学の中井均教授との対談が計画されていたのですが、事前の打ち合わせで私は「彦根城の鐘の丸を取りあげましょう」と提案していました。それはどうしてかというと、彦根城の鐘の丸が、どことなく、駿河・遠江でよく見られる武田流築城術の一つ、丸馬出と同じではないかとかねがね考えていたからです。しかも、井伊家は、武田家臣をたくさん採用していますので、「何か関係があるのではないか」と漠然と考えていました。

そのような折、私も一部執筆しました『井伊家十四代と直虎』(彦根商工会議所編)で中井先生が「彦根城―築城の経緯と縄張り―」を執筆され、その中で、武田遺臣の早川弥惣左衛門が縄張りを担当していたことを紹介していたのです。「これは是非、対談に取りあげてもらおう」と提案し、当日は、鐘の丸=丸馬出説で盛りあがりました。

井伊直政は武田の「赤備え」を継承していたということで有名ですが、築城術まで継承していたことが論証され、収穫のあった対談でした。