一宮大空襲から76年
一宮市は、昭和20年(1945)7月12日と7月28日の2日にわたり、アメリカのB29の大編隊による大空襲を受け、焦土と化した。特に旧市街地は2回目の28日の深夜から29日にかけ、焼夷弾爆撃で市街地の8割が焼失し、多くの市民が犠牲となった。
昭和20年(1945)7月の大空襲から76年となり、風化させてはいけないのに、コロナ禍のためか、ニュースの話題にもされないようだ。一宮広報には、一宮市戦災遺族会から依頼の「戦災死没者追悼式」(7月28日午前10時から11時まで・大乗公園)参列をの掲載があるものの、一宮市としての情報発信がないのは寂しいことである。
7月28日から29日にかけては、真清田神社・一宮警察署・一宮税務署・商工会議所・尾張一宮駅・一宮中学校・一宮商業学校・一宮高等女学校・第一国民学校・第二国民学校・第五国民学校・川崎航空機工場・特殊軽金属工場などが焼失したのである。
(岳紫のブログ2889)
戦災で焼失した真清田神社と復興の早い市街地の住宅
大乗公園慰霊碑