チキュウノスキマ
いく社長です

お昼休みに
Facebookで
倒れた御神木の調査という記事を読んだ

2018年に
大雨が降って
広範囲で山が崩れたり
木が倒れたりしたのを
覚えている方もいらっしゃると思う

振り返ると2011年
地震の翌年から
予想を超える雨というのが
多くなってきてるんじゃないかな?
と、思ってる

でね
2018年
鞍馬のお山
そして
静岡の東海道を歩いた時に
思ったことを思い出した

地中の流れが変わったから
水がたくさん入らないと
いけないんだよ
という
土地からのメッセージだった

建物を建てる時
地中に深く基礎をたてる

その影響で
地下水脈の流れが
長い時をかけて
少しづつ変わっていったんだと思う

鞍馬でも
静岡の掛川でも
大きな木が倒れているのをみた

掛川なんて
コンクリートごと
ひっくり返っててびっくりした

その根を見て
わたしは
この樹は
どうして根付いていられなかったのか?
ということを考えていた

ぼんやりと歩く中
マンションのような建物が
ぽつぽつとたっているのをみた

それは
橋脚だった

あ!
地中の
水の流れが変わってるんだ
その時に感じた

そして
今までよりも
深いところへ
水が必要なのだとも感じた

より多くの水を
より深いところまで
届けたい

なんかちょっと
悲しくなってきた

地上に生きるわたしたちには
ちょっとわかりたくない世界

地震も
水害も
嫌だよ

続きを書くね

わたしはこのお水のこと
地球と雨、水との関係性と
思っていた

今日ふと思ったのは
地上にすむ生命体も含めてのことだ
ってこと

わたしたち人間も動物も
もっとたくさんの水を必要としていて
細胞が
雨を待ち望んでる

嫌だなって思う
地震
水害
…災害を起こしたくなければ

わたしがお水をたくさんのむ

わたしが震えを
感情というバイブレーションを
ため込まずに都度都度流す

という
人の生き方としての
地球へのアプローチが
あるのかなぁと
思った


こないだ
広島の山を歩いていたとき
岩?と思ったら
倒れた木の根だった

山にゴロゴロ転がってる岩は
どうしてここにあるんだろ?と
思ってたけど
もとは木や別の生き物だったのかもな
って思った

姿形が変わりながら存在することを
地球はゆるしている


山門も
いつしか
門ではなくて
緑色のなにかになるのかもしれない


地球の環境を思う時
同じように
わたしのカラダを思う

地球の環境を思って
なにか引っかかる
違和感があるのなら
それは
自分自身のカラダに答えがある

わたしは
わたしの水を流し
エネルギーを流し
必要なところへ
届けよう


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