地球の運び屋
いく社長です
去年の今頃
なにしてたかっていうとね
うふふ
歩いてたの
地球の運び屋
東海道ウォークというのをやって
東海道の神社や神様めぐりをしてたんだ
↓そのころのリブログ
10/2
名古屋から八百富神社
八百富神社から浜松
10/3
浜松から掛川
10/4
掛川から焼津
10/5
焼津から箱根
箱根から東京
途中途中
車でおくってもらったり
電車をつかったり
わりと緩いルールで
歩いていたんだなあ
10/3は22.3km
10/4は28.7km
10/5は20.1km
一番歩いたのは
10/4
掛川から焼津へ向かうみち
どこまでも続く
茶畑のなかを歩いたんだ
ほんとすごいの
見渡す限り茶畑なの
そして
掛川の道の駅でのんだ
無料の緑茶が
とんでもなくおいしいの!!
どうやったら機械があんなに
おいしいお茶を入れれるのよ!?
ってくらいおいしいんだよ
ほんとおびっくりだよ
掛川では
事任(ことのまま)八幡宮に
立ち寄ったんだけど
ここでね
大きな大きな夫婦杉が
倒れていたの
台風の後だったかな
コンクリートで
倒れないように
根をおさえていたのだろうけど
コンクリートごと
根から倒れてた
去年はあちこちで
雨の被害が多かったよね
7月に行った鞍馬山でも
根から倒れてしまった木をみたから
なにかのサインなのかな?
って思ってた
事任八幡宮を後にして
見渡す限りの
茶畑の地域に入ったとき
マンションみたいのが連なっているのが見えた
山の斜面に茶畑
谷の部分には田んぼとか
住宅があるんだけど
その中にぽつんぽつんと
白くて高いたてものがある
よくよく近くにいってみると
それは橋脚だった
新しい道路がたつみたい
道路の進路方向にそって
その大きな四角い箱は
建てられててた
その場所で
霧雨にふられながら
思ったことは
水の流れが変わったんだ
ってことだった
長い長い時間をかけて
つくられてきた地中のバランスが
なにかのタイミングで
崩れてしまったんじゃないかな
と
水の流れがかわる
と
土のバランスも変わる
今まで根付いていられた
たくさんの植物たちも
そこから離れるか
居続けるか
選択の時だったのかもしれない
でも
大きなカラダを横たえて
根を土から放してしまった
大きな樹たちを
その時は
救いたいと思った
だけど
今
一年たって思うのは
あの樹たちも
もしかしたら
おもうとこあって
倒れたのかな・・・って
思うんだ
森を歩くと
新しい細い木々が
立ち上がってきてるし
樹の中で
命がまじりあい
1本の樹に
寄り添うように
別の種類の樹が生きていくうちに
いつしかつながって
同じ樹として生きているものもある
根から倒れたあの樹たちも
その枝葉から
また土へ戻り
新しい命を生み出していたのかもしれない
その土で
新しいバランスで生きるために
いのちは常に循環だ
その環境にあわせて
柔軟にそのかたちを変える
かたくなな部分は捨てて
また次に生きるいのちのかたちに
姿をかえていくんだ
また昨年の話に戻ろう
倒れた木をみた翌日に
箱根をスピプロ7期で同期の
ゆかりさんとドライブをした
箱根神社と九頭竜神社を回ったのだけど
そこでも大きな樹がたくさんあって
倒れた樹の話を
わたしはゆかりさんに話した
その時に
水脈の話をしたんだ
なんかバランスがおかしいみたい
って感じたんだ、と
そしたら
スコップひとつで
水脈を変えられる
変えている人がいるという話を聞いた
確か土をなぞるといったような
話だったと思うが
忘れてしまった
同じ流れで
草も方向があって
雑草が生えないようにする
方法があると聞いたような気がする
それも
流れに沿うといったような
ことだったと思う・・・
(うろ覚え)
この時
わたしが
てくてく歩くのが好きなのって
この
地球にながれる
脈の上をあるくのが
好きなのかなって思った
私たちは
もれなく地球のバイブレーションと
同調して生きるいきものなのであって
カラダにながれる脈とおなじく
地球にも脈がながれてる
水脈とか龍脈とか聞くよね
レイラインとかもそれだよね
そんな脈のうえを歩いて
わたしはわたしのカラダとココロを
整えているんじゃないかと思う
踏み固める
という意味があるのかな
と去年は思っていたんだけど
今年の感覚は
もっとやわらかい
そこを通るだけで
お互いに癒しあえる
そんな交流が
地球とわたしの間に
あるのではないかと思う
ああ、また歩きたいな
見知らぬ道を
まだ見ぬ景色を
感じながら歩きたい
歩いてお金がもらえるなら
わたしはずっと歩いていたい
それほどに歩くのが好きだ
ただただ
この地球の上をあるくひとに
なれるかな
なれるかもね