2004年4月22日、私は卵巣腫瘍の切除手術を受けました。
まもなく20年が経過しようとしています。
当時は詳細にブログに経過を書いていたのですがもう存在しないため、少しずつ改めて思い出して書いてみようかなと思います。(この記事は3話目)
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2004年4月22日 手術前
4月22日、この日は婦人科の手術日ということで病棟でも何人か手術する人がいるようで病棟は少しザワザワしていました。
手術の日は面会時間外でも家族は病室に入っていいので私がいる6人部屋も何組かの家族が病室に来ていたりして落ち着かない時間でした。
私は前日夜からの絶飲食で空腹や喉の渇きが辛いのだろうなぁと思っていたのですが、当時は不眠症もなく寝たいだけ寝れる体質だったから寝て紛らわせることができました。
そして起きたら下剤チャレンジが。
あのでっかいジップロックみたいなのに入ったドローっとした大量液体・・・グレープフルーツ味って書いてたけどポカリスウェット味のほうが正しいのでは無いかと思うような味で、ドロドロが腹にたまるし空腹はこれで紛らわせられる!と思ってぐびぐび飲んでビックリされました。
そしてお手洗いに行こうとしたら知らない間にセンサーマットが敷かれていてビー!。
看護師さん連れてお手洗いへ行くことになりトイレが出たら流さずに見てもらうという羞恥プレイ・・・(いや看護師さんからすると辛くて嫌なお仕事ですよね)。
それを何度か繰り返しOKが出たら午前が終わっていました。
2004年4月22日 手術室に移動
お昼を過ぎてしばらくしてから家族がやってきました。
夫と父と母の3人。
ほどなくして手術室の看護師さんがやってきて私の準備をはじめました。
耳にガーゼの袋、頭にもヘアキャップ、パッと脱がせられる術衣、下着はつけずスースーする状態でした。
本当は手術室まで歩いて行ってストレッチャーで帰ってくるそうなのですが(まさかのノーパンで手術室まで移動!?とびっくりしました)、私の100kgをゆうに超える巨体をなん度も移動させることは困難であるとして、まさかの病室のベッドに乗って手術室まで移動になりました。
空腹と喉の渇きを凌ぐためにひたすら寝てたし、できるだけ麻酔に抗ってやろうと思っていたのに、病室で「ちょっとぼーっとするお薬いれますねー」と注射チクっとされたところで私の記憶は途切れ、移動すら覚えてないという。
さて、ここからは夫が当時残していたメモとかを術後に読んでの私の理解になります。
2004年4月22日 手術中
病院の本館にある手術室に到着し爆睡した私を乗せた病室のベッドは手術室に入っていきました。
私の手術は主治医とその病院に非常勤で勤務していた医師(関西では有名な番組である”探偵!ナイトスクープ”によく出てる医師)でした。
同じ時間に婦人科の難しい手術が入っていたようで多くの先生は隣の手術室に入って行ったそうです。
家族は手術にかかる時間が2-3時間と言われており、しばらくして夫は「今のうちにタバコ吸いに行こう」と思って院内の移動を開始したといいます。
すると館内放送で「片木美穂さんのご家族はすぐに手術室前にお戻りください」というアナウンスが聞こえたといいます。
夫が手術室前に戻ると同時くらいに主治医が手術室から手術の格好のまま飛び出してきて「お腹を開けてね、卵巣を取り出して確認してもらったらがんです。本人には良性と術前に伝えてます。どうしますか?」と言われたそう。
父も母も真っ青で何も言えなかったそうです。
夫が「助かるんですか?」と尋ねたら「それは大丈夫です」と言われたそう。
夫のほうはがんになった家族は1人もおらず、私の方も父方の祖母が肺がんで亡くなってますし、私よりあとに父の兄が膀胱癌になってますがほぼがんからは縁遠い家族であったためどうしていいか分からず・・・夫は「命の助かる方向で先生の思うようにお願いします」と言ったそうです。
手術後に主治医が取った臓器を見せにきた際に子宮と両側卵巣、そして転移をしやすい大網という胃の下に垂れ下がってる脂肪膜を取ったと説明されたと言います。
そして改めてがん告知について話し合ったようで「もう一度正式な病理検査を実施したあとで告知をする」「それまではお腹を開けたら思ってたよりちょっと悪かったから全摘したとする」ことに決まったそうです。
私はなかなか麻酔から醒めなかったようで、手術室で病室のベッドに移し替えられそのまま病室に戻されました。
目が覚めたときに主治医がいて第一声が「太ってることは何もいいことがない」で夫は「打ち合わせと違うやん!」とびっくりしたと言ってました。
かたぎごと編集後記
私はいまから数年前に摂食障害と診断を受けています。でも子どもの頃から「空腹」という感覚がとても苦手で、お腹が満たされていないとソワソワしてしまい「盗食」という行動をしていました(食べ過ぎると「太る!」と叱られるため)。
手術の不安はお腹をメスで切り開くよりも前日から術後のある程度の回復期までの「絶飲食」の方が怖かったです。
卵巣嚢腫を見つけてくれた産院でも、6センチ超えで茎捻転を心配して転院した総合病院でも、さらにセカンドオピニオンを受けた都内大学病院でも、手術をした大阪の総合病院でも「良性だ」として疑いもしなかった卵巣嚢腫がじつは「卵巣がん」だったという。
あとから自分も卵巣がんについて学ぶようになりわかりましたが卵巣がんって女性でああれば0歳から死ぬまでいつ発症してもおかしくないがんなんですよね。
手術で取った臓器、私も見たかったんですが家族が確認したらすぐに手術室の看護師さんがサササッと主治医の手から奪い持って行ったそうです。
そして今だったら病院で配られる端末やポケベル、はたまた携帯電話で呼び出しするんでしょうけど当時は館内放送・・・家族はあまりの早さに手術中に事故でも起きたのかと思ったそうです。