2004年4月22日、私は卵巣腫瘍の切除手術を受けました。

まもなく20年が経過しようとしています。

当時は詳細にブログに経過を書いていたのですがもう存在しないため、少しずつ改めて思い出して書いてみようかなと思います。(この記事は2話目)

 

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2004年2月 大阪へ帰る決意

卵巣嚢腫は茎捻転を警戒しなければならない6センチを超え7センチになっているため手術は避けることができない。

良性の卵巣嚢腫の手術は2、3時間ほどで2週間入院とのこと。

そうなると東京で手術を受けるか、大阪で手術を受けるか・・・。

 

近所に住んでいる義両親は自分の親よりもフランクで一緒によく出かけ、本当の両親のように頼れる存在です。息子も毎日のように遊んでもらって懐いています。しかし義両親は仕事を持っていて2週間預けるとなると迷惑をかけるかもしれない・・・。

 

一方、大阪の実家は父は当時働いてましたが、母は専業主婦、そして実家のすぐそばに母の妹一家も住んでおり息子を預けるうえで迷惑をかけることは少ないかもしれない・・・ただ私自身が幼い頃からかなり厳しめに躾けられていました。子どもを厳しく躾けることが悪いとはいいませんが、私にはその考えは合わなくて、親とは違う子育てをしようと心がけて息子を育てました(もちろん叱るべき時は叱ります)。子育ての方針が違うことに加え、私自身が大阪の親戚付き合いの濃さから離れて東京に嫁ぎ、その自由度180%の生活に慣れたために大阪が息苦しく感じていました。

 

そんなこんなで悩んでいると不思議なこともあるもので、カンの鋭い叔母から電話が。最初は元気だと誤魔化していたのですが、なにかを察したのか取り憑かれたように連日叔母から電話がかかってくるのです。とうとう電話攻撃に観念して卵巣の手術をすると白状することに。

すると「なんか、こんなこと言いたくないけど帰ってきた方がいい気がする」と叔母が言い出し「まさかぁ」と笑ってしまいましたが現実のものになるとは思いもしませんでした。

やがて手術の話は親の耳にも入ることに・・・もう観念するしかない・・・大阪に帰ることになったのです。

 

 

2004年3月 大阪の病院に転院

 

どこの病院でも簡単に手術ができる・・・その言葉を信じてあまり深くは考えず、実家近くの総合病院・婦人科を受診しました。
その総合病院は1973年9月に私が生まれた病院で、それ以降、何かあるたびに受診していた馴染みある病院でした。

 

主治医は私と年齢が変わらないだろうなぁと思う30代の医師に決まりました。

「僕も腹腔鏡はさすがにないと思うわ」

「撮り直した画像を見たけど、多少ゴツゴツした充実部あるなぁ、でも大半が水風船みたいやし良性やと思うねん」

「よっしゃ4月20日に入院して22日に手術しよ」

気さくなやりとりで話しやすく、あっという間に手術の日が決まりました。

 

息子の慣らしも兼ねて1週間ほど実家にいましたが、私のストレスとは裏腹に?息子は実家にすぐ馴染みました。
両親も「2歳やのになんでまだオムツしてるねんムキー」といい、いきなりパンツトレーニングをはじめたりして小言は多いものの、私が幼い頃よりかは幾分まろやかになっており(表現爆  笑爆  笑爆  笑)、バチコーンパンチ!はないと確信し大阪に預けることに心が決まりました。

 

 

2004年4月20日 入院

予定通り4月20日に入院をしました。

西病棟と呼ばれる病院とは渡り廊下で繋がった建物の4階、6人部屋でした。

どの方も気さくに話しかけてくださり全員が良性の子宮筋腫や卵巣嚢腫の方で、出入りが多い部屋なのかベッドも空きが多く6床全部が埋まることは少ないのだと教えてもらいました。
全員がカーテンをフルオープンで消灯時間までワイワイガヤガヤ、まるで女子会のような雰囲気で、手術をした傷を見せてくれたり「明日退院するから食べてないお菓子あげるー」ってプレゼントしてくれたり、売店がショボいからといって近所の商店街に脱走するルートを教えてくれたり・・・さすが大阪!という感じで賑やかに過ごしました、というか賑やか過ぎて、この部屋にいる間は連日2回くらい看護師さんにキレられる日々でした爆  笑

 

入院当日は看護師さんの採血にはじまり、問診、オリエンテーションなどで過ぎました。

翌日は病院の婦人科外来まで行って診察、主治医からの手術の事前説明、手術室の看護師さんの説明、麻酔科の先生の説明など慌ただしく過ぎていったのを覚えています。

体重は3桁ながらも血液検査の値は全て良い(LもHもついてない)ということで翌日の婦人科手術日の3番目(午後)に決定しました。

 

バイバイでは続きはまた明日、難易度が高い病的肥満の手術はどうなるのか・・・バイバイ

 

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鉛筆かたぎごと編集後記鉛筆

ここまで書いていて思ったんですけど、やっぱりリアルタイムじゃなく20年前の記憶をほじくり返してのものって新鮮じゃないというか面白くないですねキョロキョロキョロキョロキョロキョロ

しかも恥ずかしくてこのブログの宣伝をまったくしてないし爆  笑誰も見にこなーい。

卵巣がんと診断されてまもなく20年の思い出ということで、ま、滑らなきゃそれでいっか口笛

あ、ちなみにカバー写真は記事とまったく関係ない、私のスマホに入ってるどこぞで撮った風景の写真です。

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