好きな人がいる幸せ! | 高田馬場にある出版社【KKロングセラーズ真船壮介のアメブロ】

高田馬場にある出版社【KKロングセラーズ真船壮介のアメブロ】

今年で創業50年!『禁煙セラピー』をはじめ、新書、実用書、ビジネス書などを出版しています。ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

KKロングセラーズ真船壮介です。

 

今日は、かなり個人的で、

かつ、わかる人にしかわからない話を

させていただきますが、

是非、ついてきてください。

よろしくお願い致します。

 

私は、サッカーを3歳からはじめ、

足のケガをしてやめるまでの15年間

 

気持ち的にはプロを目指し、

日々頑張っていました。

 

ちなみに、

気持ちと実力はまったく

比例しておりませんので

悪しからず。

 

そんなサッカー人生の私には、

#ちょっとした自慢話が3つあります。

 

まず、

①ミッシェル・プラティニに怒られた

 

そして、

②ジーコに胸を触られた

 

 

③ロナウジーニョにハグされて号泣した

 

「???」

 

何を言っているかわからないかと思いますが、

知っている方からすると

羨ましすぎて地団駄踏むくらいに凄いこと。

 

3名とも世界的に有名なサッカー選手です。

 

これを話すと200頁の本になるほど長いので、

 今回は

 

①ミッシェル・プラティニ

 に怒られた

 

を短めにお話しさせていただこうと思います。

 

プラティニとは、サッカー界のレジェンド。

フランス代表のキャプテンであり、

3年連続欧州優秀選手を受賞、

いまでいうメッシやクリロナレベルの

人気と実力を兼ね備えたスーパースターです。

 

レジェンド/ミッシェル・プラティニ

(※真船ファイルより)

 

 

 

 

 

私は小学校5年のときに初めてテレビで観て、

この華麗なプレーと堀の深い端正な顔立ちと

抜群のリーダーシップに完全に一目惚れ。

 

 

「プラティニ」というキーワードがあるものは

何が何でも手に入れるというポリシーのもと、

とにかくグッズを集めまくりました。

 

フランス代表やユベントス

(プラティニの所属していたクラブチーム)

のユニフォームはもちろん、

 

スパイクのメーカーは言わずと知れたパトリック。

 

『サッカーマガジン』や『サッカーダイジェスト』

そして『イレブン』『ストライカー』に至るまで、

ほほすべてのサッカー紙にプラティニが出ていれば購入。

 

どんなに小さい記事であろうが

モノクロの写真だろうが、

プラティニの部分だけ切り取り、

それをファイルするのが一番の幸せ。

雑に切り抜いたプラティニ(※真船ファイルより)

 

プラティニのテレフォンカードは今でも2枚持ってます。

 

部屋中にプラティニのポスターを隙間なく貼り、

ニヤニヤしながら眺めたり、

プラティニが出場しているビデオを

流しながら寝ないと、

本当に眠れませんでした。

 

夢でもよく一緒にプレーしていました。

 

マニアックな話で恐縮ですが、

1985年のトヨタカップ、

ユベントスvsアルヘンチノスシュニアーズを

世界一観た1974年生まれの男子だったと思います。

 

そのくらい好きで好きで仕方ない

ミッシェル・プラティニが、

あのプラティニが来日するという

情報を耳にしたのが中学1年生の頃。

 

それもそれも、私が卒業した小学校に

サッカーの指導に来るという!!

 

「うおぁあああああああ!」

 

死ぬほどガッツポーズをしたのを覚えています。

 

それと同時に

「何でもう一年、

遅く生んでくれなかったんだ」と

その時ばかりは親を恨みました。

 

一年遅くに生んでくれたなら、

直接サッカーの指導してもらえた

というのもあるのですが、

情報によると、プラティニは

小学生を指導した後、

お風呂に入りたいということで、

サッカー部で学校から一番近くで

風呂を借してくれる家を探していると。

 

最終的に決定したのが、

 

僕の隣の隣の家のSの家だったのです。

 

ということは、

僕が現役でいたならば確実にうちに来たわけで!

うちでお風呂に入るということは、

プラティニをゆっくり眺められるし、

 

直接タッチしたり、

 

においをかいだり、

 

イチャイチャできたわけで!

 

そんなチャンスをたった一年早く

生まれただけで、逃すなんて、

そんな理不尽な話はないだろう!

 

とたぶん思っていたと思います。

 

そのプラティニが指導に来る当日。

土曜の授業だったかは忘れましたが、

学校がありました。

 

僕の熱意で、クラスの“帰りの会”が無くなり、

小学校までは徒歩5分くらいなのですが、猛ダッシュ。

 

やはりスーパースターの来日だけに見たことのない群衆。

 

その人だかりをかきわけてプラティニがいるという校長室へ突撃。

 

外から校長室が見えるのですが、

 

いましたよ!生のプラティニが!

 

憧れて憧れて憧れまくっていたプラティニが

校長先生と座りながら話しをしていました。

 

「おおー!プラティニ,

  プラティニ!」

 

興奮して校長室の窓をドンドンとたたくと、

あのプラティニが手をあげてくれました。

今なら警備員に連行されているレベル。

 

もう、感動!

自分の近くにあのプラティニがいる!!

カメラのシャッターを

とにかく連打していました。

 

そして、

一年後輩をあのプラティニが

指導している姿を

恨めしそうに眺めながら、

遠くから撮影。

1年後輩を指導するプラティニ(※真船撮影)

 

そうこうしているうちに練習は終了し、

最後に現役生徒と記念撮影を

撮り終えたプラティニが

校長室に戻ろうとしたときに、

 

事件は起こりました。

 

コーチが

「プラティニさんが校長室に戻るので、

白線の外に出てください」

と、子どもたちや親を誘導。

報道陣なども指示に従い、

プラティニのまわりから

人がいなくなりました。

 

そこに現れた一人の少年。

 

そう、僕です!

 

群衆がいなくなった隙を

狙って白線をくぐりぬけ、

プラティニの元にダッシュしていました。

 

やってはいけないことだし、

ルールを破っていることは、

理解していました。

ただ、近くにプラティニがいる。

ただがむしゃらに、

プラティニを間近で感じたいがために、

突進していました。

 

そして、真正面にプラティニが。

 

そこで僕は話すでも、

触るでも、握手を求めるでもなく、

ただ無言でシャッターを

押しまくっていました。

 

今思うとなぜ握手を求めなかったのか。

 

とにかく無我夢中でした。

 

突撃した時に撮ったピンボケのプラティニ

(※真船撮影)

 

 

するとあのプラティニが、

将軍、ミッシェルプラティニが、

僕の目をギラリとにらみ、

 

「ドキュシヨタナタヒナユキヤタハナマタサアソ!!」

 

と叫けんだのです!!

 

たぶん、

「早くどきなさい、このボウズ!」

 

と言っていたのかもしれませんが、

確実に怒っていたのはわかりました。

 

怒られるのは当たり前です。

 

ただ、それを言われた瞬間・・・・・

 

僕の目から涙が出ていました。

 

「ああ、怒られた」でも「恐ろしい」でも「怖い」でもなく、

 

「うれしい!あの

 プラティニが僕を怒ってくれている!」

 

そう、プラティニに話しかけられ、

怒られる。

 

この出来事に感動し、

涙を流していたのです。

 

憧れている人に感情をぶつけられる。

こんなうれしいことはないじゃないですか。

 

プラティニが校長室に戻った後も

ただうれしくて

呆然としていた記憶しか残っていません。

 

 練習が終わり、後輩の家に

シャワーに行ったプラティニを追いかけた

私のエピソードはコンプライアンス的に

文章には起こせないので、

私と仲良くなっていただければ

どこかのタイミングでお話しします。

 

僕の自慢、パート1

「プラティニに怒られた」

 

でした。

 

このプラティニに怒られたことは

一生の宝物ですし、

僕の自慢です。

 

いつかフランスに行って

もう一度プラティニさんに会うのが今の夢です。

 

それにしても

いま思うとあり得ない行動力。

あの積極性ははどこいってしまったんだろ。。

 

次回は

②ジーコに胸を触られた

 

③ロナウジーニョにハグされて号泣した。

を感情を込めてお知らせしたいと思います。

 

ご清聴

ありがとうございました(笑)