どうも( ^_^)/
バイトが終わったので妙に気分が浮かれている者です。
忙しいと本当に何もできない。
合間の時間でも何か書き物はできるだろうと思ってたら、曲がかろうじて作れただけでした。
病院で清掃と皿洗いばかりをしながら『世界一長いフィクション』を書き上げた彼の忍耐に敬服するばかりです。
ヘンリー・ダーガー。
あなたは、いったいどうしてそんなことができたんですか。
ジョン・マグレガー/
ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で
外見上、彼を知っていたすべての人々の目には、ダーガーは役立たずの老人、ないし本当には成長することなく齢のみ重ねたおつむの弱い少年だった。私たちはここで、ダーガーが天才であったのに抑圧された可能性を、潜在的には治世の面でも創造性の面でも巨人だった可能性を考慮してみるべきである。それなのに、環境、家族、養育や教育、口を糊する手段、自らのアイデンティティに対する感覚といったすべてが、成長や発達の可能性を阻むように働いたとしたら、この天才に何が起きるだろう。結果、感覚、情緒、知性、あらゆる面に大穴があいてしまうことは避けられまい。
ヘンリー・ダーガーに関してはウィキペディアを読んでいただければ人となりはだいたい分かります。なにしろ、ほとんどこの本からの引用です。
世界でもっとも有名なアウトサイダーアートのひとつである『非現実の王国で』は、正式名称を、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ-アンジュリニアン戦争の嵐の物語』といい、7人の≪ブロンド髪の姉妹で、目を見張るほど美しく幼いが、人間離れした善良さと驚くべき勇気と軍略の才能を具(そな)えている≫少女たちの冒険小説です。
(金髪の子たちがヴィヴィアンガールズ。名前はそれぞれついているが見分けはつかない)
敬虔なキリスト教国であるアンジュリニアンと、子供奴隷を使役する残虐非道なグランデリニアンのとんでもない規模の戦争が延々15,145ページ、全十五巻に渡って描かれています。日本で未完の大作となった『グイン・サーガ』と比べてどちらが長いでしょう。どちらもすべては読んでないので俺は分かりません。
そうそう、当たり前ですが、俺が閉架してた図書館から引っ張り出してきて貰った『非現実の王国で』は、ヘンリー・ダーガー研究の第一人者ジョン・M・マグレガーによる抄訳(しょうやく・原文のところどころを抜き出して翻訳すること)本で、つまりほんの一部を読んだに過ぎません。
おそらく、ぜんぶ読もうと思ったら残りの人生を懸けないと無理です。いつか全文が出版されたりするのでしょうか。
こちらの買えば一冊6500円の本は(図書館って便利です)、ダーガーの作り上げた数点のイラストと、本編抄訳、ダーガー研究文の三部作となっています。
その中でも、一番面白いのがダーガーを研究するマグレガー博士の文章でした。これを先に読んでから抄訳やイラストを見ると、さらに面白さが増します。
冒頭でも引用しましたが、ダーガーは一見、社会の最低辺をぎりぎりで生きている孤独な男に見えて、その内なる世界はとてつもなく広大でした。
訳者あとがきから引用してみます。
マグレガー博士の研究のお陰で、私たちはダーガーの膨大な著作の一部を読めるようになり、彼の心の奥をわずかだが、垣間見ることができるようになった。そこから浮かび上がってきたのは、ダーガーの想像を絶する孤独だった。
(中略)
文字通り天涯孤独のなかで、人間の知性や情緒はどんなふうに発達するのだろう。あるいは思春期の欲望はどうやってはけ口をみつけるのだろう。~出口をふさがれた欲求は歪んだ形をとって非現実の王国で爆発した。現実を捨てた(あるいは現実に捨てられた)ダーガーが、生きることを選んだ代替世界。それが『非現実の王国で』だった。
外の世界に見捨てられた人間は、内側の世界を広げるしかなかった。
何となく、俺の創作活動・意欲の原動力に近い気がします。
なんとなくこの現実世界の輪の中に、自分はお呼ばれされてない感覚というのがずっとあります。
特にそれが辛いとか苦しいとかいうこともないのだけど「ならばじゃあ、小説でも書いてみるか」と、自分の空想にひきもっていったような、そんな半生でした。
スキゾイド的とでもいうのでしょうか。徹頭徹尾、自己の世界に浸って満足しています。
そうして、どことなく自分に近しいものを感じたので、ふとこんなツイートをしてしまいました。
祖父江直人@naotosobue
あまりにも唐突な一人語りですが。 ヘンリー・ダーガーは自作を公開しなかったのではなく、公開する方法が分からなかったのではないでしょうか。 根拠は無いんですが、強いていえば、もしWeb小説投稿サイトが無かったら俺の書いたものはずっと引き出しの中だったと思われます。
2021年02月26日 22:01
ネットに小説を発表し出す前は、本当に俺もダーガーチックに、超アナログな原稿用紙を買っては書き、書き上げてしばらく経ったら捨てるという行為を繰り返していました。
誰にも見せる気は無かった、というか、見せられるような近しい人間関係がなく、不特定多数の人に見せる方法も知らなかったのです。
だから、ダーガーがもしこの現代日本に生まれ育っていたら、同じように清掃員をする傍ら(障害者年金や生活保護なども受給しているかもしれない)公営団地などに住みつつ、『小説家になろう』や『カクヨム』みたいなWeb小説投稿サイトにヴィヴィアンガールズの冒険をアップロードしていたのではないかと、そう思ったのです。
ですが、ひとつだけネックなのが、『非現実の王国で』には性的描写はほぼ皆無らしいのですが、抄訳された部分だけを読んでも、グロ描写はけっこうキツめな感じであります。
しかも、そのほとんどが、子供奴隷たちが残虐に拷問され殺されてしまうシーンなので、下手すりゃ通報されて垢バンされそうです。
現在人々の感心となっている子供の性的搾取への配慮を理由に、ダーガーは否定的な見方をされることがある。また同じ理由で、展覧会への出店を拒まれたこともある。しかし私は、ダーガーを知るにつれて、現実と幻想をきちんと区別することが必要だと思うようになった。私たちは彼の秘密の世界に立ち入ろうとしているが、しょせんは招かれざる客なのだ。(中略)時おり、自分自身を作家だ画家だと言っているくせに、観客や出版者を欲しがった気配が一切ないというのはパラドックスである。真のアウトサイダーアートとはごく秘密裏に創作されることが多く、いわゆる「芸術家」にいわゆる「芸術作品」を制作させる動機と伝統的に考えられてきたものを一切欠いた状態で作られることが多い。真のアウトサイダーアートの核心にひそむパラドックスである。(P.113)
そもそもが、読まれることを想定して書いていたのかについても疑問なので、すべては下衆の勘繰りでしかない。
とはいえ、
「せっかく書いたのだから、できれば読んで欲しい」
と、それくらいは思っていたと信じたいものです。
ダーガーのさまざまな心の葛藤を推測するのは興味が尽きないけれど、ほんとうのところはわからない。マグレガー博士が言うように、私たちはダーガーを介して、自分自身と向き合うことしかできないのだから。(P.140 訳者あとがき)