ライブハウスの最後尾より -16ページ目

ライブハウスの最後尾より

邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/

 

バイトが終わったので妙に気分が浮かれている者です。

 

忙しいと本当に何もできない。

 

合間の時間でも何か書き物はできるだろうと思ってたら、曲がかろうじて作れただけでした。

 

病院で清掃と皿洗いばかりをしながら『世界一長いフィクション』を書き上げた彼の忍耐に敬服するばかりです。

 

 

ヘンリー・ダーガー。

 

あなたは、いったいどうしてそんなことができたんですか。

 

 

ジョン・マグレガー/

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

 

 

 

外見上、彼を知っていたすべての人々の目には、ダーガーは役立たずの老人、ないし本当には成長することなく齢のみ重ねたおつむの弱い少年だった。私たちはここで、ダーガーが天才であったのに抑圧された可能性を、潜在的には治世の面でも創造性の面でも巨人だった可能性を考慮してみるべきである。それなのに、環境、家族、養育や教育、口を糊する手段、自らのアイデンティティに対する感覚といったすべてが、成長や発達の可能性を阻むように働いたとしたら、この天才に何が起きるだろう。結果、感覚、情緒、知性、あらゆる面に大穴があいてしまうことは避けられまい。

 

ヘンリー・ダーガーに関してはウィキペディアを読んでいただければ人となりはだいたい分かります。なにしろ、ほとんどこの本からの引用です。

 

 

世界でもっとも有名なアウトサイダーアートのひとつである『非現実の王国で』は、正式名称を、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ-アンジュリニアン戦争の嵐の物語』といい、7人の≪ブロンド髪の姉妹で、目を見張るほど美しく幼いが、人間離れした善良さと驚くべき勇気と軍略の才能を具(そな)えている≫少女たちの冒険小説です。

 

(金髪の子たちがヴィヴィアンガールズ。名前はそれぞれついているが見分けはつかない)

 

 

敬虔なキリスト教国であるアンジュリニアンと、子供奴隷を使役する残虐非道なグランデリニアンのとんでもない規模の戦争が延々15,145ページ、全十五巻に渡って描かれています。日本で未完の大作となった『グイン・サーガ』と比べてどちらが長いでしょう。どちらもすべては読んでないので俺は分かりません。

 

 

そうそう、当たり前ですが、俺が閉架してた図書館から引っ張り出してきて貰った『非現実の王国で』は、ヘンリー・ダーガー研究の第一人者ジョン・M・マグレガーによる抄訳(しょうやく・原文のところどころを抜き出して翻訳すること)本で、つまりほんの一部を読んだに過ぎません。

 

 

おそらく、ぜんぶ読もうと思ったら残りの人生を懸けないと無理です。いつか全文が出版されたりするのでしょうか。

 

 

こちらの買えば一冊6500円の本は(図書館って便利です)、ダーガーの作り上げた数点のイラストと、本編抄訳、ダーガー研究文の三部作となっています。

 

 

その中でも、一番面白いのがダーガーを研究するマグレガー博士の文章でした。これを先に読んでから抄訳やイラストを見ると、さらに面白さが増します。

 

 

冒頭でも引用しましたが、ダーガーは一見、社会の最低辺をぎりぎりで生きている孤独な男に見えて、その内なる世界はとてつもなく広大でした。

 

訳者あとがきから引用してみます。

 

マグレガー博士の研究のお陰で、私たちはダーガーの膨大な著作の一部を読めるようになり、彼の心の奥をわずかだが、垣間見ることができるようになった。そこから浮かび上がってきたのは、ダーガーの想像を絶する孤独だった。

(中略)

文字通り天涯孤独のなかで、人間の知性や情緒はどんなふうに発達するのだろう。あるいは思春期の欲望はどうやってはけ口をみつけるのだろう。~出口をふさがれた欲求は歪んだ形をとって非現実の王国で爆発した。現実を捨てた(あるいは現実に捨てられた)ダーガーが、生きることを選んだ代替世界。それが『非現実の王国で』だった。

 

外の世界に見捨てられた人間は、内側の世界を広げるしかなかった。

 

何となく、俺の創作活動・意欲の原動力に近い気がします。

 

なんとなくこの現実世界の輪の中に、自分はお呼ばれされてない感覚というのがずっとあります。

 

特にそれが辛いとか苦しいとかいうこともないのだけど「ならばじゃあ、小説でも書いてみるか」と、自分の空想にひきもっていったような、そんな半生でした。

 

スキゾイド的とでもいうのでしょうか。徹頭徹尾、自己の世界に浸って満足しています。

 

 

そうして、どことなく自分に近しいものを感じたので、ふとこんなツイートをしてしまいました。

 

 

 

 

 

ネットに小説を発表し出す前は、本当に俺もダーガーチックに、超アナログな原稿用紙を買っては書き、書き上げてしばらく経ったら捨てるという行為を繰り返していました。

 

 

誰にも見せる気は無かった、というか、見せられるような近しい人間関係がなく、不特定多数の人に見せる方法も知らなかったのです。

 

 

だから、ダーガーがもしこの現代日本に生まれ育っていたら、同じように清掃員をする傍ら(障害者年金や生活保護なども受給しているかもしれない)公営団地などに住みつつ、『小説家になろう』や『カクヨム』みたいなWeb小説投稿サイトにヴィヴィアンガールズの冒険をアップロードしていたのではないかと、そう思ったのです。

 

 

ですが、ひとつだけネックなのが、『非現実の王国で』には性的描写はほぼ皆無らしいのですが、抄訳された部分だけを読んでも、グロ描写はけっこうキツめな感じであります。

 

 

しかも、そのほとんどが、子供奴隷たちが残虐に拷問され殺されてしまうシーンなので、下手すりゃ通報されて垢バンされそうです。

 

 

現在人々の感心となっている子供の性的搾取への配慮を理由に、ダーガーは否定的な見方をされることがある。また同じ理由で、展覧会への出店を拒まれたこともある。しかし私は、ダーガーを知るにつれて、現実と幻想をきちんと区別することが必要だと思うようになった。私たちは彼の秘密の世界に立ち入ろうとしているが、しょせんは招かれざる客なのだ。(中略)時おり、自分自身を作家だ画家だと言っているくせに、観客や出版者を欲しがった気配が一切ないというのはパラドックスである。真のアウトサイダーアートとはごく秘密裏に創作されることが多く、いわゆる「芸術家」にいわゆる「芸術作品」を制作させる動機と伝統的に考えられてきたものを一切欠いた状態で作られることが多い。真のアウトサイダーアートの核心にひそむパラドックスである。(P.113)

 

 

そもそもが、読まれることを想定して書いていたのかについても疑問なので、すべては下衆の勘繰りでしかない。

 

 

とはいえ、

 

「せっかく書いたのだから、できれば読んで欲しい」

 

と、それくらいは思っていたと信じたいものです。

 

ダーガーのさまざまな心の葛藤を推測するのは興味が尽きないけれど、ほんとうのところはわからない。マグレガー博士が言うように、私たちはダーガーを介して、自分自身と向き合うことしかできないのだから。(P.140 訳者あとがき)

 

 

 


どうも( ^_^)/

 

まずはこの動画を見て欲しい者です。

 

 

 

 

沁みますよね。

 

 

 

と、書いたように、RADWIMPSが「届けられないラブレター」を積み上げた十年を結実させた名曲です。

 

正直、この曲さえ聴いてもらえれば今回のブログの主旨は終了です。

 

以下は蛇足なので暇で暇でしょうがないという人だけ読んで、できれば拙作を聴いてくださればと思います。

 

 

今日は2021年3月11日です。

 

 

俺は怠惰な人間なので、忘れないように心掛けるだけではすっかり忘れ去ってしまいます。

 

なので、毎年なにかしら予定を立て、強制的に思いを馳せようとするのです。

 


 

例年ですと尾張一宮駅で森香さんらが催してくれる『祈りの集会』に出る時期ですが、今年はそれもないし、そもそも俺自身が珍しく忙しく身動きがとれません。

 

 

 

 

 

 

てなわけで、今年は曲を作りました。詳細はYOUTUBEの説明文の通りです。

 

本当は静止画ではなく動画を録りたかったのですが、それさえできぬほどとは思いませんでした。

 

かろうじて、東北に向かう空を写した写真を持っていてよかったです。

 

 

 奇しくも、断じて決しておそれ多くもラッドに乗っかったわけではなく“手紙”というモチーフを使うことになりました。

 

 

そもそも、曲というやつは非常に手紙っぽい機能を有しています。

 

 

電子メール、メッセージアプリ、SNSのDMのような即時性も確実性も弱く、届くまでに時間がかかる上に誤配もあり得るまだるっこしいシロモノという意味で、です。

 

 

だからこそなのか、つづる言葉に半ば、祈り希(こいねが)うような、重めな気持ちを盛り盛りトッピングしてしまうところがあるのも、手紙っぽいです。

 

 

“Heavenly Letter”の歌詞を書いているときも「この歌の主人公はいったいどういう状況なんだろう」と考える余地を多く残すようにしました。いろんな届き方をして、いろんな解釈ができるようにしたつもりです。

 

 

実は作詞者自身も歌詞の本意をよく分かっていないです。

 

 

じっくり読んでいただけたら、なにかこちらが思いもよらぬものが生まれてくるかもしれません。

 

 

そんな歌が、できました。

 

 

『Heavenly Letter』

 

出かけてすぐ小雨になった 右手の傘はいらなくなった 

「今日はどの傘立てに寄付するつもり?」って 左手の君が笑った

 

視界の袖へと慌てて 空を走り出す雲

 

下手くそな歌 生まれた 想いを吐き出した

瞳濡れた 流れた 滴に未来を感じた

落とさないように 受け止めたんだ

 

帰り道ほど晴れる僕を君は笑いながら責めてくれた

「厳しさ」と「いたわり」をいつでも宿す声がよみがえる

 

Heavenly Letter あふれた 想いを飲み干した

たぶんまた 忘れた頃に送られてくるだろう

優しく僕を叱ってくれるだろう

 

Heavenly Letter あふれた 想いを書き綴った

自分に向けた あきれた 言い訳を繰り返して

出せない返事を積み重ねた

 

君は許してくれるかな

 

 

 

どうも( ^_^)/

 

 

 

常に一口、もしくはぜんぶ食ってから写真に収める者です。

 

だいたいの店が20時に閉まるなか、ライブも20時に締めるとなると、晩飯の確保が非常に重要になってきます。

 

そういう意味でも、なかなか人を呼びにくい中、今月は二本、ライブをやってきました。

 

 

まず、14日。

 

 

 

セットリスト

01.アンダードッグ

02.クラゲの唄

03.この指とまれ

04.ダンゴムシの歩き方

05.虹ヶ原ホログラフ

06.Tears In Heaven(Cover)

 

 

総勢七組の大所帯ライブとなった岐阜CASPERです。

 

そのとき練習していたエリック・クラプトンの名曲を最後にやりました。またもっとギターが上手くなりたいと思えたので、恐らく良いセットリストだったはずです。

 

 

 

バレンタインということでこちらのチョコを配っていたら、SpankyShotのリンダさんが立派なチョコケーキを作ってくださり、無事、前座噛ませの役目を果たせました。

 

 

出演者を軽く紹介します(敬称略)。

 

Act.01 宮川奏花

 

キャンセルがあって急遽出演してくれました。昼のアイドルイベントからのダブルヘッダーで、パワフルなステージでした。

 

Twitterを見たら来月ラストライブとありました。3/20は俺もライブなので行けませんが、最後までパワフルにパフォーマンスマン振りで駆け抜けて欲しいです。

 

 

Act.03 兄

 

 

愛知県の蒲郡市からいらっしゃったソウルフルフォーキーミュージシャンです。

 

俺は地元が名古屋と岐阜のちょうど真ん中くらいの位置なので行きやすいんですが、そこそこな遠方から二週間ごとに来て「近いのでまた呼んでください」というバイタリティーは素晴らしいです。

 

 

Act.04 SOU

 

 

光輝く譜面台。寄る老眼もなんのそので歌いちぎっておられました。

 

ライブ中もそうでないときも、箱を明るい雰囲気にするキャラクターがある人でした。

 

 

Act.05 かっちゃとたかくん

 

 

 

 

普段はギターボーカルのかっちゃさんとアニソンなどやっておられますが本日はかっちゃお休みです。たかくんのソロドラムステージでした。

 

やや苦戦しておられる部分も、飽くなきドラマーとしての探求心でしょう。見事でした。

 

 

Act.06 BlendCoffee

 

 

 

二人組のアコースティックユニット。ソロで何度かご一緒した浅井さんと、SOUさんから「動きが昭和」といじられた古田さんのパフォーマンスは、動画をご覧ください。

 

MCまで含めてきっちり詰まった完成度の高いステージでした。曲名で思いっきりトチるところも含めて高度な計算だったのではないかと思ってしまうほどです。

 

 

Act.07 Spanky Shot

 

サックスのリンダさんと、ドラマーの野田さんのお二人からなるインストユニット。今回は先日亡くなったチック・コリアを追悼する“スペイン”をやるなど、迫力のあるステージでした。

 

 

 

せっかくなので貼っときます。

 

 

 

続いて、23日のライブです。

 

 

 

 

 

セットリスト

1.アンダードッグ

2.クラゲの唄

3.この指とまれ

4.ダンゴムシの歩き方

5.そして、未だ蕾のプヤ・ライモンディ

 

 

時間も少し短い中、最後の曲だけ変えました。

 

 

我が音楽の母校が閉校するというのでライブ前に最後のご挨拶に行ってきました。

 

“そして、未だ蕾のプヤ・ライモンディ”は、在学中にできた曲です。ほかにも何曲かあるんですが一番褒められたのがこの曲だったので未だに歌い続けています。

 

MCでも話しましたが、この学校で育った俺がこの曲をやりつづけることで、あの場所の匂いみたいなものがずっと残ってくれればいいと思っています。

 

 

 

共演者の紹介(敬称略)です。こちらは八組。月2のペースでフェスに出演してる気分です。

 

Act.01 マクロスコピック

 

 

渋い選曲な女性二人のカバーユニット。今日がなんと初ライブです。お疲れさまでした。

 

これから曲目も増えていくでしょう。無論、渋めな方向性で。

 

 

Act.02 虹音(にじね)

 

彼女は天然か、そうでないか、判定をしながらのMCでしたが、俺の中で無事、天然と認定されました。ご愁傷様です。


 

サラリと流れる清流のごとき柔らかさのある楽曲たちでした。

 

 

Act.03 429

 

三年前の3月22日にBOBで共演して以来です。今回はお休みなこともあってか顔がそっくりなお子様も連れて名古屋に来てくれた三重のシンガーソングライターです。

 

 

竹原ピストルチックな直情的フォークです。ギターもピックアップなど使わず、マイク二本立てで力いっぱいストロークしていきます。ずっしりと胃に溜まる四曲でした。

 

 

Act.04 いとうより

 

なかなかスピード感のある瞬間を写すことができましたね。↓

 

 

ウクレレ弾き語りで、昨今の情勢を切り取りながら、やや黒いユーモアのある楽曲をやってくれました。ちょうど出番が迫っていたので前室でチューニングなどしていたのですが、客席から「それ猿じゃないですかぁ!!」ってツッコミを入れたくてしょうがなかったです。今度はガンガンやりたいです。

 

 

Act.06 鈴木勇作

 

世を忍ぶ仮の本業では楽器を販売し、ひとたび日の元に降り立てばこのように自ら演奏するチャレンジングなミュージシャンです。

 

 

今回はベボベの曲をリフ有で挑戦でした。なかなか良かったし、きっとまた上手くなって帰ってくるはずなので次の共演を楽しみにしておきます。

 

 

Act.07 二村ユーリ

 

BOBのファニーでクライシスな店長渡部裕也氏にケチョケチョにいじられる枠その一……ではなく、パンクスなアコースティックミュージシャンとして登場しました。

 

 

非常に代謝の良いステージで、このまま京都大作戦とかピザオブデス主催のロックイベントに殴り込めるんじゃないかと思いました。愚直で実直です。つまりこういうタイプがいじられやすいってわけです。

 

 

Act.08 百陽(もひ)タスク

 

この人の集まりにくい時期に八組もの演者を詰め込んで主催ライブを敢行した勇者の登場です。

 

 

年齢は俺の一回りくらい上なんですが、楽曲と気持ちが若い人です。メロディからジュブナイルでノスタルジックな匂いがします。

 

 

 

 

とはいえ、曲の内容は酒飲み過ぎたとか、それが原因で痛風になって膝に水が溜まったとか、非常にデンジャーでナイトメアな世界観なわけですが。

 

呼んでくださって、本当にありがとうございました。

 

 

2月のライブレポートだというのに、3月にずれ込んでしまいましたが、そこらへんはあまり気にせず、次なるライブへ向かいます。

 

 

3月は三本です。今年初の三本ですね。実りのある三本にしたいです。

 

 

2021.3/14(日)

バレンタインにチョコを貰ったわけではないですがホワイトデーなので歌を贈りますライブ(仮)

at.岐阜CASPER

Ticket¥2,000

※詳細未定

 

2021.3/20(土)

「音楽漂流記vol.30」

 at.新栄 ROLLINGMAN 

open/start12:00/12:30

Ticket¥2,500‐(D代別)

※ソーシャルディスタンス維持のため、15名限定

ツイキャスプレミア配信:¥2,000‐

-act-

くまがわ提丞/Tomoya(STMY)/祖父江直人

 

2021.3/25(木) 

[感情表現] at.鶴舞DAYTRIP

open/start 18:00/18:30予定

Ticket ¥1900‐(D代¥600‐) 

-act-

青春ひとりぼっち。/ きゃんべる☆/村田篤哉/Ryu Kuriya/祖父江直人