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ライブハウスの最後尾より

邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/

 

タイトルに引っ張られて、なぜか小戸川をオットセイだと思い込んでいた者です。

 

オッドタクシーというアニメが面白かったのでその話をします。

 

 

オッドタクシー

 

・簡単な作品紹介

 

タクシードライバーの小戸川(おどかわ)は、今日もいろいろな客を乗せる。

 

SNS狂いの大学生。

キャバクラのボーイ。

アイドルとマネージャー。

鳴かず飛ばずの漫才コンビ。

かかりつけの病院の看護師。

拳銃を持った半グレ指名手配犯。

 

中には人を一人殺したやつだっているかもしれない。

 

ラジオから流れるニュースは、今日も行方不明の女子高生の話題だ。

 

ところで小戸川は最近、部屋の押し入れにいる“誰か”と話をしているらしいぞ。

 

 

・キュートでポップなフィルムノワール

 

このアニメまず最初の魅力は、動物に擬人化された可愛いキャラクターたちです。

 

主人公の小戸川は偏屈で風体のさえない41歳独身のオッサンですが、その造形をセイウチにすることで絵が非常に和らぎます。

 

 

ちょこんと乗った黄色帽がキュートです。

 

また、このアイキャッチ画像でピンと来る人もいるでしょうが、『オッドタクシー』はスコセッシ監督の『タクシードライバー』を想起させます。

 

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とはいえ小戸川に大それた野心や誇大な妄想はなく、身寄りのない孤独な身の上を受け入れる大人な男ですが。

 

 

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またアニメに流れる通奏低音のような退廃的でうっすらと黒の紗幕がかかったような雰囲気は『セブン』のようなフィルムノワールを感じさせます。

 

 

誰もが何かしら上手くいかず、鬱屈や焦燥や、あるいは諦念を抱えています。

 

いわば、日本的なアンダークラスを描いているともいえるわけで、そんなもん頭身高めの人間でやったら息苦しすぎてアニメとしても観ていられない。ちょっと古い漫画でたとえると『バケツでごはん』みたいな擬人化でやったのはポップとノワールの見事な融合です。

 

 

・人は街に狂うのか

 

これはネットの片隅で読んだ詠み人しらずの感想の引用ですが、

「アメリカのスラム育ちがラップでのし上がるように、日本ではアイドルや漫才師が非エリート層の出世口になっている」

と書いていて、なるほどなと思いました。

 

 

特にアイドルは向上心の塊みたいなキャラが出てきて、どこかただならぬ雰囲気を醸し出す。「のし上がるためなら人も殺しそう」とセリフが飛び出し、ポップでキュートなアニメーションに緊張が走ります。

 

 

とにかく、東京(らしき都会)で、誰も彼もがどこへ向かうべきかも分からず、迷い惑っている。

 

 

そこへ、沈んだ諦観とひねくれた感性を持ちながら「親のいない自分を助けてくれた人たちに恩返しがしたい」と真面目で誠実な内心を持った小戸川が、惑う者たちを“拾い”、「どちらまで?」と訊くのはなかなか示唆的です。

 

 

小戸川が乗せた何もかもがバラバラなはずの人々が、行方不明の女子高生という一本の線で結ばれていくストーリーはとてもミステリアスかつエキサイティングで、アマプラで観始めようもんなら一日で一気見必至です。

 

 

俺は人と街が描かれた作品が好きなので、このアニメも街に注目して観てしまうのですが、この人も物も溢れかえった極彩色な街の描写に狂わされてしまうのかもなとも思いました。

 

 

あともう一つだけ。

 

 

カポエイラは最強。

 

 

 

 

どうも( ^_^)/

 

生まれて初めてオリンピックで寝不足に陥っていない者です。

 

オリンピックだけではなく、パンデミックのなか大規模な催しを開く上で、すべての苦しみが最小公倍数になるよう全方位へ謙虚に配慮の行き届いたことを書こうとすると、必然的に虚無になって何も書かないことが正解になりそうなので、もうちょっと浅い部分でスポーツ観戦について最近思っていることを書こうと思います。

 

 

あくまで一人の非現場観戦者としてですが、無観客試合、とてもアリに思えてきました。

 

 

今日などは朝から競泳・ビーチバレー・野球・テニス・飛び込み・柔道・体操・バレー(室内)・サッカーを目まぐるしく観ながら(超暇人である)、すべて無観客でセミの鳴る音がよく聴こえる中継だったわけですが。

 

 

その季節感バリバリな環境音の中でプレーヤーの肉声が届いてくるというのが、まさしくライブであってたいへんよろしいなと、そう思ったわけです。

 

 

手拍子・声援・鳴り物応援、たしかにそれも良いですが、いくぶん加工品めいたところというのか、素材の味を楽しむ隙間が無遠慮に埋め尽くされていると、思わんでもないんですね。

 

 

これはオリンピックの話ではなく、NPB/MLBなどの野球や、Jリーグ/サッカー代表戦などのサッカーが無観客試合になったときも感じたことです。

 

 

スポーツには、それをプレーするだけで色んな音が出るもんだなぁと、非常に素朴な感想を抱いた、そしてそのアコースティックな気分が、なかなかに良いものだと思えてならないのです。

 

 

いえいえ、昨年から世間を賑わしているしゃらくさい言葉は使うまいです。

 

「これは良いな」と、ただそれだけの話です。

 

どちらにせよ、収支という現実的な考えの前では、競技はどこまでもエンタメ化し、ショーになり、レジャーになり、耳をつんざく大爆音のフェスティバルとなっていくことは抗いようもない。

 

 

そこに文句はないですがしかし、かりそめにも音楽をやる人間としてひとつ語らせてもらうと、常にテンションの上がり切ったショーにはダイナミクスというものが欠けがちになります。

 

 

強弱・緩急・無音(ブレイク)あってのまさしく破壊的(ブレイク)な興奮です。

 

 

3年後、パリ五輪はまた盛大に執り行われるでしょう、それどころか、来年の北京五輪からきっと日常は賑やかさを取り戻しお祭り騒ぎが始まるんでしょう。

 

 

そのときふと、2021年の静かなる祭典が思い出されればいいなと思います。

 

 

 

 

どうも( ^_^)/

 

オリンピック観すぎな者です。

 

ちゃんと自分の時間も持とうと思い、こんな短編集を読みました。

 

 

フレドリック・ブラウン/真っ白な嘘

 

 

以前はこの本を紹介し、その後SFの短編集も読んだので、ブラウンをすっかりSFの人だと思い込んでしまったのですが、こちら『真っ白な嘘』はミステリ短編集です。

 

むしろ最初に名声を得たのはミステリー方面だったようで、ブラウンの才気煥発が伺えます。

 

短編ごとに軽く語っていきます。

 

 

笑う肉屋

“コービーヴィルの恐怖”と呼ばれる肉屋リンチ事件を回想する形で進行する話。

 

元サーカス団員たちの街。

小人症の男。

黒魔術に傾倒している噂を持つ肉屋。

その肉屋に妻を誘惑されている心臓病を抱えた男。

 

といった要素が見事に絡まり、ひとつの完全犯罪を成し遂げていくキレ味抜群のミステリーでした。

 

当時の倫理観としてリンチがだいたい許容されていた世相もあるんでしょうが、それなりに博打でもあるのですが。

 

 

四人の盲人

四人の盲人が、象とはどんなものかを知るために、実物に手をふれるんだ。一人は鼻に触って、象はヘビに似ていると考える。ひとりは尻尾に触って、象は縄に似ていると考える。ひとりは脇腹に手を置いて、象は壁に似ていると考え、四人目は脚の一本に手をまわして、象は木に似ていると考える。その後、生涯ずっと、四人は像についての意見が合わないままだった

そんな話を前提に展開される、不可解な殺人の話。

 

オチはなんとも狐につままれたかのような、「象の話が枕になったからって犯人まで象にするこたぁあるめぇよ」と言いたくなります。ネタバレしてしまいましたが、その過程を読むのも楽しみということです。

 

 

世界が終わった夜

ネタに詰まった新聞記者が「今日世界が終わる」と号外を出すことを計画しているところから話は始まります。

 

「やめときゃいいのに」と思っていると、そこには酒びたりな一人の男、ジョニー。彼は終末を真に受け銃を手に取るが、弾みで知人を殺害してしまう―――

 

軽はずみな行動のツケを最終的に払わされる話なので多少はスッキリしますが、殺された方はたまったもんじゃありませんね。

 

 

メリーゴーラウンド

オチがあまりよく分からなかった話その一。

 

メリーゴーランドで働くひとりのさえない中年男の恋と感傷を描きたかったなら、もうちょっとストレートに行ってしまっても良かったのではないかと思いました。それがテーマではないとすると、なかなか複雑で、俺には上手く解釈しきれません。

 

 

叫べ、沈黙よ

『笑う肉屋』と同じく完全犯罪モノ。耳が聴こえなくなった者が、その特性を利用して企てたと思われる犯罪を、親類が暴こうとする大変緊張感のある短編でした。

 

犯人は本当に耳が不自由なのか。それは最後のセンテンスまで辿り着いても解釈の分かれるところでしょうが、上手いです。

 

 

アリスティードの鼻

オチがよく分からなかった話その二。

 

語り手は探偵と思われる人物に、かつての名探偵の武勇伝を聞かせるわけですが、最終的に探偵は映画監督になってしまう。「実際の事件を追いかけるより架空の事件をでっち上げて撮影した方が儲かるぞ」みたいな身も蓋も無い話なんでしょうか。探偵とミステリー作家は同じようなものという風刺的なことでしょうか。

 

 

背後から声が

思い込みと予断は恐ろしいことを思わせる寓話。こういう「思い込みの愚かしさ」をブラウンはよく書いている気がします。

 

 

闇の女

突然民泊にやってきた怪しいミス・ダークネスを巡る物語。あからさまに怪しいので「これはひっくり返す布石ですよ」と暗に示してくれる親切設計です。ひっくり返し方が丁寧なので良いのです。

 

 

キャスリーン、お前の喉をもう一度

小説家は誰でも「怖い女」を書きたがる性癖を持っていると思っていて、ブラウンもなかなかえげつない話を考えるなと思った作品です。

 

とはいえ女もファムファタールにはなり切れず、残酷な最期を迎えるわけですが。

 

 

街を求む

最後の締めはやや説教臭くもありますが、これくらい直球にマフィアと政治の癒着、その危険性を指摘するくらいには、ブラウンは真面目な人だったのかもしれません。

 

 

歴史上最も偉大な詩

物語には入り込まなきゃいけませんが、事実を伝えることを生業とするなら冷静にならなきゃいけないよ、と、現代の全人類総ジャーナリストな時代に刺さるショートショートだと思いました。

 

 

むきにくい小さな林檎

幼少の頃からその凶悪さに誰もが気付きつつ、しかし決定的な証拠を残さないがゆえに一人の男がすべてを失う悲劇に見舞われる。

 

ハードボイルドな復讐ものとして話を畳みますが、その内容は深く描かれない。描きたいのはジョン・ウィックみたいなアクションではなくある種のスリラーだったのでしょう。ちょい悪趣味ではあります。

 

 

出口はこちら

どうもブラウンは「自殺に見せかけて……」なトリックを好む作家だったようで、この短編ですでに三回も使ってます。しかしどれも自殺の「使い方」が異なっており、いろいろネタはあるもんだなと感心しました。

 

自分の内側から声が聞こえてきたら、まずは幻聴を疑うものですが、もうひとつ自分の周りに声帯模写が上手い奴がいないか確認することも大事なようです。

 

 

真っ白な嘘

表題作。タイトルは物語中で重要なアイテムである苛性ソーダと嘘をかけたもの。どちらも“ライ”というらしいです。なるほど。英語ネイティブじゃないとピンときませんな。

 

「疑心暗鬼が極まって……」みたいなネタも好きみたいです。『背後から声が』は悲劇的な結末でしたが、こちらはハッピーエンドです。

 

 

危ないやつら

列車の待合室で偶然出会った二人、お互いがお互いを刑務精神病棟から逃げ出してきた殺人鬼だと思い込んでしまうコントみたいな話。

 

一度怪しいと思うと、ちょっと珍しいくらいの名字から何の変哲もない背格好まで怪しく見えてくるバカバカしい緊張感のある下りは笑えるし、最終的に本物の殺人鬼が現れてガチで緊張感が出てくるあたり、見事です。そしてオチでまた笑えます。

 

 

カイン

善良な弟を身勝手な理由で殺した犯人のこれまた大変に身勝手な独白と、看守の状況説明から成る話。タイトルは無論、旧約聖書で弟のアベルを神への嫉妬で殺害したカインでしょう。

 

刑罰という法学上の考え方からは外れるのかもしれませんが、真の刑罰とは死刑そのものではなく、「死刑の前日」が永遠に続くことだというオチはなるほどと思わされます。

 

 

ライリーの死

およそ警察官としてまったく無能としかいえない外反母趾持ちのデブオヤジライリーは、その死に際の英雄的行為によって街に銅像が立つほどの偉人となった。

 

などという死後のサクセスストーリーに、強烈な冷水を浴びせてくる爆笑のオチが待っています。英雄を欲しがる人心の裏をかいてきます。

 

 

後ろを見るな

小説を書く者ならば一度はやってみたいネタなのかもしれません。

 

「この短編は殺人者が書いたものです。彼はあなたを本屋からずっとつけてきています。物語を読み終えたとき、あなたは死にます」

 

小学生の冗談じゃないかという程度のものを、最上級の文章力で表現するとこうなります。

 

しかし残念ながらフレドリック・ブラウン、友よ、俺は悪い読者なので、この本を図書館で借りてしまったんだ。すまない。

 

 

でも面白かったです。ありがとう友よ(図々しい)。