静かなるスポーツ観戦が、なんだか良いと思い始めている話。 | ライブハウスの最後尾より

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邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/

 

生まれて初めてオリンピックで寝不足に陥っていない者です。

 

オリンピックだけではなく、パンデミックのなか大規模な催しを開く上で、すべての苦しみが最小公倍数になるよう全方位へ謙虚に配慮の行き届いたことを書こうとすると、必然的に虚無になって何も書かないことが正解になりそうなので、もうちょっと浅い部分でスポーツ観戦について最近思っていることを書こうと思います。

 

 

あくまで一人の非現場観戦者としてですが、無観客試合、とてもアリに思えてきました。

 

 

今日などは朝から競泳・ビーチバレー・野球・テニス・飛び込み・柔道・体操・バレー(室内)・サッカーを目まぐるしく観ながら(超暇人である)、すべて無観客でセミの鳴る音がよく聴こえる中継だったわけですが。

 

 

その季節感バリバリな環境音の中でプレーヤーの肉声が届いてくるというのが、まさしくライブであってたいへんよろしいなと、そう思ったわけです。

 

 

手拍子・声援・鳴り物応援、たしかにそれも良いですが、いくぶん加工品めいたところというのか、素材の味を楽しむ隙間が無遠慮に埋め尽くされていると、思わんでもないんですね。

 

 

これはオリンピックの話ではなく、NPB/MLBなどの野球や、Jリーグ/サッカー代表戦などのサッカーが無観客試合になったときも感じたことです。

 

 

スポーツには、それをプレーするだけで色んな音が出るもんだなぁと、非常に素朴な感想を抱いた、そしてそのアコースティックな気分が、なかなかに良いものだと思えてならないのです。

 

 

いえいえ、昨年から世間を賑わしているしゃらくさい言葉は使うまいです。

 

「これは良いな」と、ただそれだけの話です。

 

どちらにせよ、収支という現実的な考えの前では、競技はどこまでもエンタメ化し、ショーになり、レジャーになり、耳をつんざく大爆音のフェスティバルとなっていくことは抗いようもない。

 

 

そこに文句はないですがしかし、かりそめにも音楽をやる人間としてひとつ語らせてもらうと、常にテンションの上がり切ったショーにはダイナミクスというものが欠けがちになります。

 

 

強弱・緩急・無音(ブレイク)あってのまさしく破壊的(ブレイク)な興奮です。

 

 

3年後、パリ五輪はまた盛大に執り行われるでしょう、それどころか、来年の北京五輪からきっと日常は賑やかさを取り戻しお祭り騒ぎが始まるんでしょう。

 

 

そのときふと、2021年の静かなる祭典が思い出されればいいなと思います。