親愛なる自殺志願者へ〜天国は、あの世にしかない | ライブハウスの最後尾より

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邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/

 

 

どんなに雨が降りそうでも、一旦外に干す者です。

 

 

勇気ですね。無謀かもしれませんが。

 

 

※初めて読む方へ。

この『親愛なる自殺志願者へ』は大なり小なり希死念慮から逃れられない人々に向けて書いておりますので、死にたいと思ったことがない方は読まなくても大丈夫ですし、読まない方がいいかと思われます。

拙ブログのスタンスとしては、「死にたい」という言葉を「この苦痛や苦悩は死ぬことでしか解消できなさそうだ」というメッセージとして捉え、自殺をどうしようもなく行き詰った果てに取る選択肢の一つ、または『死を思わずには生きていられない人の業』として“全肯定”しています。

また、「それ以外にも楽になる方法があるのではないだろうか」と生きている限り考え続けてみようという趣旨の文章でもあり、コメントを頂けると嬉しいカテゴリでもあります。よろしくお願い致します。

 

 

・宣伝

 

 

まず、こちらでこのカテゴリを書くのが久しぶりなのは、カクヨムにてエッセイとしてこの『親愛なる自殺志願者へ』を書き始めたからです。

 

 

親愛なる自殺志願者へ(リンク先 カクヨム)

 

 

当初は、単純にこのブログに書いてある内容をほぼそのまま移すだけのはずでしたが、いつの間にか書き下ろしのような状態になってしまっています。

 

 

とはいえ、内容自体はあまり変わりません。ただ、同じことを何度も書くことでより洗練されているような気もするので、ブログよりは滑らかな読み味になっているはずです。

 

 

これからは、ブログと両輪でやっていく予定です。よろしくお願いします。

 

 

・幸せとは何か

 

俺は以前から書いてきたように、脱幸福論者です。人生の目的は、幸せになることではなく楽になることで、何かを手に入れる幸福より何もない気楽をこそ尊ぶべきだという論陣を張り続けています。

 

 

それは何故かといえば、人生は何を得たところで、いずれ失うようになっているからです。

 

 

金、物、友人、恋人、伴侶、子供、命。全部いつかは無くなります。それも、少なくない場合でかなり理不尽にです。

 

 

それを覚悟の上で、つまり無くすことを含み置いた上で、やがて失われてしまう幸福を噛み締めているかというと、これもまた多くの人が、失うことを嫌がります。

 

 

これは見解の相違なのでしょうが、この辺りの気持ちが俺にはまったく分かりません。「大事な物を失くした、大切な人を亡くした。でもそれは、分かっていたことでしょう」と思ってしまいます。

 

 

気持ちが沈むのは分かります。突然のことだったらショックを受けるのも理解できます。ただ、その現実を否認して、受け止められないのは分からない。

 

 

ものの分別がつく自覚があるのなら、予め手に入れた物を失う可能性は、考慮に入れていないといけません。何より、その当人のためにならない。残念ながら、この世は手酷い仕打ちを何の悪意も害意もなく行う。強烈な痛みが、常に用意なくやってきてしまう場所です。

 

 

もし、そんな残酷で酷薄な世界で幸福になろうというのならば、それは、何かを得ようと求めることではなく、今身の回りにある物を愛でて、大切にすることなのではないかと思います。そして、それらがやがては失われてしまうことにすらも十分に納得して、その理不尽さ、酷さ、痛みまでひっくるめて愛おしむことでしか、達成できないと思います。

 

 

だから俺は、幸福という概念からは一線を引かせてもらいます。手に入れた物を失うことすら含めて愛するなど馬鹿馬鹿しい。そんなことよりも、もっと適当に、気楽にやらせてもらいます。誰が亡くなったとして、一時的に「おお」と嘆息しても、引き続き悲しんだり寂しんだりはしません。人生はそういうものです。

 

 

・地獄を生きる同胞たちへ

 

 

今日、こんなツイートをしました。

 

 

悪縁でクソのような借金を背負わされた人と会って、「ドン底まで落ちた瞬間に、いろんな人の助けの手が入って、返せる目処もついたし、今は妻子もいて将来の展望も見えてとても幸せだよ」と語られていました。人間万事塞翁が馬だと同時に、金がいくらあっても虚しい人生はあるし、人といくら繋がっても利用されるだけじゃ最悪だよな、とも思いました。

 

 

詳細に書くと、この人は、借金返済のために地元を遠く離れた僻地に飛ばされなければ今の奥さんと出会えなかったし、無一文どころか絶大なマイナス状態を無職で放り出されなければ今の仕事にありついて、そこから作った人脈で明るい将来への展望を描けることもありませんでした。

 

 

無論、借金をせよという話ではない。ホームレス寸前まで落ちぶれろなどとは口が裂けてもいえない。ただただ、ツイートにあるように『人間万事塞翁が馬』というだけの話です。本当に、ただそれだけの話です。

 

 

地獄に仏を見出すような生活をしているときに陥っちゃいけないのが「この世のどこかに自分が幸せに暮らせる天国や極楽があるはずだ」と思ってしまうことです。

 

 

ないぞ。

 

 

そんなものはない。この世に生まれてきた以上、誰もがそれぞれの地獄を生きているだけで、艱難(かんなん)辛苦から完全に解放されるには死ぬしかありません。天国はあの世にしかない。

 

 

唸るほどの資産を持ち悠々自適に見える彼は、実のところ孤独に身を引き裂かれ、人生の虚しさに溜息を吐いている。

 

 

沢山の友人に恵まれているように見える彼女は、実のところ悪縁を切ることができず、泥沼のような人間関係にもがいている。

 

 

そんなことはないかもしれない。しかし、生老病死が約束されたこの娑婆に、人生の地獄性から逃れる術はありません。

 

 

先述したように、この世界は理不尽で残酷なのです。何も悪いことをしていないのに、クソのような連中が言葉巧みに法外な借金を背負わせたり、ヤクザのような連中から生命保険を掛けろと脅されたりする。

 

 

誰にとっても、この世は地獄です。それと気づく瞬間が少しずつズレるだけで、誰もが生のもたらした苦しみにのたうつ日が来ます。そんな人生などというもの、真面目に取り合う価値など無い。価値など無いが、取り合わなかったところで、結局のたうち回って死ぬことになる可能性はある。うむ、地獄です。

 

 

あくまでも、その程度を軽くする手段があるだけです。ある人はそれを幸福と呼び、ある人は悟りと呼ぶのかもしれません。

 

 

俺は、腹を決めることが大事だと思います。この世は、どうしたって地獄だと諦めをつける。その上で、どうすれば楽になるか考える。その思索の果てが自殺だというなら、何も言うことはありません。

 

 

しかし、地獄がいつまでも天国にならないことを嘆き儚んでいるのなら、それは間違いだと申し上げねばなりません。

 

 

この世に天国はありません。誰かのことがそう見えるのだとしたら、それは過ごしやすい地獄の御し方を見つけたに過ぎないのです。

 

 

 

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